百条委の証人喚問と裁判の証人尋問は似て非なるもの

何かを期待しておられた皆さんにはさぞかし期待外れで、ガッカリされただろうが、百条委員会の証人喚問はこんなものだと思われておいた方がいい。

裁判のようには行かないものである。
裁判の場合は、民事でも刑事でも証人尋問で何を立証しようとしているか予め分かっているのだが、百条委員会の証人喚問の場合は出頭した証人にあれやこれや自分たちが聞きたいことを聞くだけで、一種の事情聴取、真実の探求作業の一環みたいなところがあるから、せっかく質問をしても大した答えが返って来ないことがある。

明らかに真実と異なった証言をする証人や百条委員会の証人喚問にそもそも出頭しない証人の場合は、偽証罪や証言拒否の罪で処罰することが可能になる場合があるが、単に記憶がないとか趣旨不明の証言をする証人の場合はどうしても糠に釘みたいな遣り取りになってしまう。

明らかに偽証している証人については、他の客観的証拠や他の証人の証言を根拠に偽証罪で告発すればいいのだが、証人喚問をしたその場ではただ聞き置くだけしか出来ない。簡単には逃れられないような明白な証拠を突き付けて、相手に恐れ入りました、私の証言は嘘でした、間違っていました、と認めさせることが出来れば大成功だが、百条委員会の証人喚問の場に呼びだす相手は大体が百戦錬磨の強者で、簡単にシャッポを脱ぐような人ではない。

百条委員会の証人喚問を聞かれた人も、証人喚問を担当された人も相当の徒労感を抱かれてしまうと思う。

裁判での証人尋問と百条委員会の証人喚問はまったく違うものである。

何はともあれ、皆さんお疲れ様でした、というところだ。

都議会の今回の百条委員会の証人喚問は、誰かを偽証罪で告発するためにしたものでもなく、誰かを処罰するためにしたものでもない。ただ、皆さん、本当のことを知りたい、という都民の声に忠実に従われただけのこと。

手応えがなくて残念だったなあ、何も収穫がなかったなあ、などと嘆いておられる人がおられるかも知れないが、とにかく皆さんはご自分の務めを立派に果たされた。

百条委員会の証人喚問は、実施することに意味があった、と割り切られることである。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2017年3月20日の記事を転載させていただきました(アイキャッチ画像はNHKニュースより引用)。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。