仏大統領選と独総選挙で欧州は立ち直る(特別寄稿)

2017年03月27日 10:30

※編集部より:本稿は、1月からアゴラ研究所のフェローに就任した八幡和郎さんのオリジナル寄稿です。今年行われるフランス、ドイツの大型選挙が欧州情勢に与える影響を論じます。フランス留学・勤務経験もある八幡さんの展望、ぜひご覧ください。

大型選挙を経てヨーロッパは復活へと“凱旋”なるか(写真ACより:編集部)

今年はフランスとドイツという二大国でふたつの大きな選挙がある。ひとつは、フランスの大統領選挙と総選挙であり、もうひとつは、ドイツの総選挙である。日程としては、フランスでは、大統領選挙の第一回投票が4月23日に行われる。そして、 第1回投票では、有効投票総数の過半数の票を獲得できないとみられるので、2週間後に上位2候補による決選投票が行われ、5月7日の午後8時には新しい大統領が選出されます。

そして、下院である国民議会選挙が6月11日に第一回投票、18日に決選投票で行われます。小選挙区だが、過半数を取る候補がいなければ決選投票だ。

そして、9月24日には、ドイツ連邦議会選挙が行われる。選挙制度はややこしいが、基本的には、比例代表だが、スペインなどと違って、5パーセントの得票がないと議席を取れない。日本でいえば、社民党や自由党、日本のこころなどが排除されると思えばいいのである。

これについては、CDU(キリスト教民主同盟)のメルケル首相が盤石かと思えたのだが、第2党で大連立を組むSPD(社会民主党)が、欧州議会の前議長だったシュルツを党首としたところ、支持率が2割から3割に上昇し、人気投票でも首相候補でもメルケルを上回るようになった。

ドイツ社民党では、シュレーダー前首相が行き過ぎた自由化路線を推進してヨーロッパ全体の新自由主義化が進んだのだが、シュルツは賃金水準の上昇を掲げ、また、緊縮財政の緩和を訴えている。欧州議会議長時代は、ギリシャのチプラス首相にも一定の理解を示していたから、もし、シュルツにかわれば劇的変化だ。

このあたり、詳しい事情は、アゴラで長谷川良さんが、『シュルツ氏選出と「ユダヤ人の知恵」』という小論を書かれていて、おおむね妥当だと思ったので、今日はそちらを参照しておいて下さいということにしておく。

そして、フランスでは、左派と右派の融合を訴える中道左派のマクロンが最有力候補になっている。右派勝利間違いなしといわれたのが大波乱。ということで、一見すると、相反する方向に見えるが、左に寄りすぎたフランスが右派まで行かずに中道に、右に寄りすぎたドイツが左に回帰して、仏独が中道左派路線で足並みを揃えそうで、そうなるとEUは非常に安定するとみられる。

それに対して、あいかわらず、訳の分からん二重国籍の嘘つきを党首に、森友事件のごときどうでもいい話に熱中し、東京都政でも存在感を示せず都議会議員選挙でも惨敗しそうな日本の民進党はよほど政権が取りたくないらしいが、ヨーロッパの好ましい流れを民進党あたり少しは学んで欲しいところだ。
そういう願いも込めて、今日はフランス第五共和制の歩みと大統領選挙の課題をまとめて紹介しておきたいと思う。

ド・ゴール将軍の第五共和制は優れもの

ド・ゴール将軍が創始した第五共和制では、直接選挙で選ばれた大統領が巨大な権限を持っている。この仕組みは、フランスでのみならず世界的にも大きな成功を収め、すでに1958年に創始されてから半世紀たっているが、意外なほどの安定性をもって続いているし、それ以上に、ロシアや韓国など多くの国で模倣されている。

このシステムででは、大統領が首相を任命する一方で、首相は議会による不信任を受ける可能性があるが、議会の不信任などに強い制限が加えられており、バランスが良いのである。
フランスがナチスから解放されたとき、第三共和制は復活しなかった。その憲法で選ばれた政府がドイツ軍に無条件降伏し、議会が自らの手で憲法を停止したからだ。

とりあえずは、ド・ゴール将軍を首班とする臨時政府が構成され、憲法制定のための議会が選出され、そこで採択された改正案が国民投票にかけられた。議会の選挙では、ドイツへの降伏に賛成した議員は被選挙権を失ったので、左派が優勢だった。

ド・ゴールは、大統領の強い権限を望んだが実現ぜす、ほとんど、第三共和制と同じ制度になった。ド・ゴールは抗議し、下野したのである。

ただ、国立行政学院(ENA)の設立は、授業料の高い「パリ政治学院」(シアンスポ)という私立学校の卒業生が主体でブルジョワ的といわれてきた事務官僚を、公的に養成することにするという「民主化」を実現させた。

この制度はド・ゴール側近のドブレ(のちに首相)が考案し、共産党員の大臣のもとで実現されたものだ。

こうして成立した第四共和制は、植民地の維持が最大の課題にしてしまい、ヴェトナム独立戦争での敗北で傷つき、アルジェリア独立運動の前に立ち往生して、政権を右派の期待を一身に背負ったド・ゴールに投げ出した。

ド・ゴールは、第五共和制憲法を制定して大統領の権限強化に成功し(1958年)、1962年には強引に国民投票にかけて直接投票での選出を実現した。いきなり国民投票に架けるのは、違憲だったが、憲法評議会は「(違憲だが)国民の意思を覆せない」として、改正は有効とした。

現代フランス大統領列伝

ド・ゴール大統領は、大学紛争に端を発した「五月革命」(1968年)の混乱は乗りきったが、翌年に、憲法改正の国民投票で敗れて引退した。後任は、高等師範出身の銀行家だったポンピドー。農民の子が小学校教師に、その子が大統領に、というフランス革命以来の伝統的パターンでの出世物語を体現者していた。

ポンピドー・センターにその名を残す文化人大統領で、パリの近代化に大きな功績があった。大統領夫妻と親しかったのが、俳優のアラン・ドロン夫妻で、いささか怪しげなスキャンダルがあった。

現役のままでポンピドー大統領が死んだとき、かつて映画『パリは燃えているか』でアラン・ドロンがその役を演じたレジスタンスの闘士シャバンデルマスがドゴール派の候補だった。このとき、左派は上院議長として臨時大統領に就任していたアンチ・ドゴール中道派のポエールに乗った。しかし、ヴィシー政府高官の息子でドイツのコブレンツに生まれ、理工科学校と国立行政学院の両方を卒業し、市場経済指向と開明的なスタイルを打ち出して与党系の小会派を率いた財政監察官のジスカールデスタン財務相が当選した(1974年)。

ジスカールデスタン家は、ルイ15世の庶出の子孫を名乗っていたが、いささか怪しかった。夫人は本物のルイ15世の庶出の子孫で、夫妻で開明的貴族を演じた。大統領がなぜか午前5時にパリ市内で自動車を運転していて事故を起こし、ゴシップ誌に暴露されたこともある。

ジスカールデスタンは、ポンピドー元大統領の側近で大統領選挙で内務大臣としての権限を利用して助けたシラクを、首相にした。だがシラクは、大統領と権限争いをして辞職し新たに設けられたパリ市長に転じた。7年後の選挙では、そのシラクのサボタージュに助けられて、社会党のミッテランが当選した(1981年)。

ミッテラン大統領は、会社幹部の息子で弁護士となり、レジスタンスに参加し、第四共和制ではいくつもの閣僚を務めた。もともと中道左派だが、支持率低下に悩む社会党が解党的な出直しをしたときに党首として迎えられ、保守との差を、経済政策より人道、環境、平和などといった価値観に求めたことが成功した。

大統領夫人はレジスタンスの闘志だったダニエル夫人だが、別の女性とのあいだに娘がいることが公然の秘密だった。

ミッテラン大統領のもとでの総選挙で右派が勝利したとき、シラクが首相となり、保革同棲(コアビタシオン)が実現し、大統領が外交・軍事、首相が内政という棲み分けが慣例化した。ミッテランの引退後はシラクが大統領となった(1995年)。曾祖父が農民、祖父が学校の教師、父はダッソー社の役員で、本人は国立行政学院から会計検査院(ルビ=クール・デ・コント)の官僚となっていた。相撲の愛好家で、大統領現職中も毎年のように非公式に日本を訪れた親日家だったが、日本はそれを活かそうとはしなかった(なぜか日本人は外国の親日派政治家にいつも意地悪だ)。

しかし、この時期に反EUを掲げた極右の国民戦線(FN)のジャン・マリー・ルペンが力を伸ばし、2005年のシラク再選時の選挙ではシラクに対し、社会党のリオネル・ジョスパン首相が第一回投票で敗退し、ルペンが決選投票に進んだ。

2007年の選挙では、弁護士で右派色の強いニコラ・サルコジが与党候補となって当選した。スタイルとしては橋下徹的で、ルペンに対抗するには、少しそちらに近づく必要があった。ハンガリー動乱で亡命してきた小貴族と、ギリシャ系ユダヤ人にルーツを持つ母を両親とする。弁護士で、抜群の交渉力が売り物である。当選時に夫人だったセシリアは、作曲家アルベニスの曾孫で、モデルなどを経てテレビ司会者の妻だったが、ダブル不倫の末に結婚した。だが、選挙直前にニューヨークに恋の逃避行をしたりしたあげく当選後に離婚した。

任期中に再婚したカーラ・ブルーニは、イタリア貴族出身で、モデルや歌手として活躍していた。英国訪問時には際立ったファッション・センスで、「ダイアナ妃の再来」といわれた。どこかの野党党首のようなポルノ的なものでなく、芸術的なものであるが、かつてのヌード写真が議論のタネになったこともある。

しかし、サルコジはあまりにも際物にすぎた。また、プーチンとの近さも問題になった。そのなかで、社会党候補として最有力だったのは、ストロスカーンIMF専務理事だったが、ニューヨークでの謎のセクハラ事件で逮捕され、脱落し、地味な印象の社会党のオランド書記長が立候補し当選した。ENA出身の会計検査官である。

オランドはとくに大きなスキャンダルがあったわけでないが、経済改革に失敗し、メルケルの影に隠れて外交的に成功せず、人気が低迷したままで再出馬断念に追い込まれた。

難民・移民問題の深刻化、ISによるテロなども亀裂を深めた。オランドの夫人はENAの同級生であるロワイヤル環境相だったが、大統領選挙を前に別れ、ジャーナリストのトリールヴァイレール同居していたが、いささか身勝手な女性で不人気だった。ところが、大統領がスクーターに乗って女優ジュリー・ガイエのところへ出かけるところがパパラッチされ破綻した。

2017年の選挙の経緯とマクロンの登場

2017年の選挙では、社会党の不評から、かつてのドゴール派やシラクの共和党連合が模様替えした共和党が有利で。予備選挙で勝った候補が事実上の大統領とみられていた。当初は、中道派寄りのジュペ元首相(ENA出身の財政監察官)と右派のサルコジ元大統領の争いとみられたが、両者の泥仕合の間隙を縫って、クリーンなイメージでテレビ討論会で好感を得たフィヨン元首相が浮上した。

経済では新自由主義、価値観は伝統的カトリシズム、外交は親プーチンだった。ところが、ペネロープ夫人を公設秘書として架空雇用して刑事訴追され、守勢にまわっている。

社会党も予備選挙を行ったが、中道寄りで社会民主主義者といわれたヴァルス元首相(スペインからの帰化人だが結局は帰化人としての壁を打ち破れず予備選で敗退)が優勢と言われたが、リベラルすぎる(ヨーロッパの常識ではリベラルとは市場重視を意味し反左派)と批判されベーシックインカムを主張するアモン元教育相を選んだが、中道派は反発。

フランスの制度では地方首長や議員などの一定数の書名を集めれば立候補でき、11名が立候補するが、実質的には5名の争い。

マリアンヌ・ルペン(極右。ジャン・マリー・ルペンの娘だが極右色を減らして父娘で対立)、フィヨン(中道右派)、マクロン(中道左派・オランド政権の元閣僚に中道派が合流)、アモン(左派・社会党)、メランション(左派・社会党左派分離組&共産党)という組み合わせ。

第一回は中道左派マクロンと極右ルペンが25%くらいで首位争い、中道右派フィヨン20%、左派党メランションと社会党アモンは15%以下。

上位二者の決選投票ではマクロンが60%を超える得票が見込まれている。
マクロンはENA出身の会計検査官。ロスチャイルド銀行に天下り、オランド大統領のもとで経済相をつとめたが、辞任して左右両派を糾合した新しい道を主張して立候補した。

ヨーロッパ統合は支持、アンチ・プーチンだ。企業活動の自由化を訴え、社会福祉は多様化をさせ選択を与えることで財政負担を減らしつつ個人のライフスタイルに合致させることを主張している。

社会党内ではドラノエ・パリ前市長がマクロン支持を表明。ロワイヤル環境相(オランド大統領の前妻、前々回の大統領候補)、ルドリアン外相、エロー元首相が続くことも確実視。サパン蔵相も加わるか。カズヌーブ首相、バルス前首相、オランド大統領も社会党予備選で勝ったアモン氏を支持する気配はない。生煮えのベイシックインカムが公約のアモンでは勝てるはずないし、賛成も出来ないという。共産党の元党首ユーとか環境派の一部にも支持を広げるし、中道派のバイユの支持も得た。

社会党と共和党がそれぞれ予備選を実施したが、社会党はベイシックインカムを主張するアモン元厚相、共和党が右派親ロシアのフィヨンとそれぞれ極端な候補を選んだので漁夫の利を得ている。

ルペン氏もEU議員秘書として雇った秘書に党の仕事をさしたとして訴追へということでお悩み。しかも、共和党が右派色の強く親ロシア派のフィヨンが共和党候補になって互いに票を食い合う。

中道左派の復活と日本の民進党との違い

こうして、フランスでは社会党も中道左派のマクロンにまわって勝ち馬にのりそうな気配。つまり与党にとどまるというわけだ。それにひきかえ、日本の民進党も社民党はひどい。フランスの社会党は名前を頑として変えないが、日本の社会党は社民党とか名前だけ変えながら、共産党に擦り寄り身売り状態。民進党も共産党に擦り寄って、中道派の国民から見放されるばかり。民進党も社会党も「共産党は西欧民主主義の枠外の党、自分たちは枠内の党」といってこそ存在価値がある。共産党の協力を得ることがあっても、逆では話にならない。フランスの社会党が右に寄りすぎると離党したメランションに共産党が協力して大統領選挙を戦うのと大違い。

民進党は中道派に徹することで自民党と対抗すべきだし、社民党は共産党の半分くらいの票を奪えるはずなのだが、共産党に擦り寄りつつ票は献上しているだけだ。

 

愛と欲望のフランス王列伝 (集英社新書)
八幡 和郎
集英社
2010-12-17

※本稿の一部に本書からの引用がある

 

世界と日本がわかる 最強の世界史 (扶桑社新書)
八幡 和郎
扶桑社
2016-12-24
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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学大学院教授

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