コーヒーハウス(カフェ)は妻と国王から弾圧された

写真:ケンズカフェ東京にて撮影

これまで数回にわたり、チョコレートの歴史について紐解いてきたが、思いのほか反響があったので、また新しい情報を紹介したい。実はチョコレート(カカオ)語るうえでイギリスの歴史は外せない。さらに、コーヒーハウス(カフェ)が歴史に影響を及ぼしていたことを、皆さまは知っているだろうか。

今回は、ケンズカフェ東京(東京・新宿御苑前)の氏家健治シェフ(以下、氏家)に、チョコレート業界の歴史について伺った。同店のガトーショコラは、フジテレビ「有吉くんの正直さんぽ」、TBS「ランク王国」、日本テレビ「ヒルナンデス! 」「おしゃれイズム」「嵐にしやがれ」などで紹介されたことがあるので、ご存知の方も多いことだろう。

■爆発的な人気を博したコーヒーハウス

――1642年に、クロムウェル(Oliver Cromwell、1599年4月25日 – 1658年9月3日)が実権を確立する。クロムウェルはジェントリ層の出身だった。ジェントリ層とは貴族階級とは異なり、イギリスの地方社会で農業経営を進めることによって台頭してきた層になる。ジェントリ層の台頭が、その後のチョコレート普及に影響を及ぼす。

「当時のイギリスは、貿易面でオランダに遅れをとっていました。そのため、独自に貿易を通じて国富を増やす政策づくりが急がれていました。航海法を制定し貿易をイギリス船に限定したのです。この政策によって、戦時にも十分な数の船を確保でき、貿易による国富を増やすことに成功します。」(氏家)

「本国、植民地、原産地の運搬には、イギリス船か原産地の船に限定されました。オランダは排除され、イギリスの貿易事業に従事する商人が優遇されていきます。」(同)

――さらに、植民地ではプランテーション開発に注力する。出荷された産物は、イギリス船によって本国に運ばれ莫大な利益を上げることになる。

「17世紀にはいると、ジェントリ層が台頭し自由度が高まってきました。この時代に大流行したのがコーヒーハウス(カフェ)です。オックスフォードにオープンしたコーヒーハウスが草分けといわれています。18世紀にはロンドンだけでも1000件以上のハウスがあったという記録が残っています。」(氏家)

――客は新開を読み、情報を交換するなど会話を楽しんだ。その後、社会的交流の場としての役割はさらに高まっていく。

■妻と国王がコーヒーハウスを弾圧?

――コーヒーハウスは社交と議論の場として大流行をした。あらゆる階級の人々が出入りすることができたので店は客に制限をもうけていた。「店内で喧嘩をしたものは、コーヒーを客全員に振る舞うべし」など独自のルールが決められていたケースもあった。

「大流行しすぎた事で、入り浸る男性が増えたようです。談義だけの場所ではなく、実業や世論を形成する役割も果たしていました。妻は夫がコーヒーハウスに入り浸るのを嫌って、のちにチャールズⅡ世がコーヒーハウスを弾圧するにまで発展します。ところが市民の猛烈な反発にあいます。コーヒーハウスのニーズはむしろ高まっていきました。」(氏家)

「当時のコーヒーハウスは多くが建物の2階にある大きな部屋でした。客は階段を上ってコーヒーハウスに入っていきます。コーヒー代には新聞代と光熱費が含まれていました。常連客には常連席が用意されていました。」(同)

――客はアルコールは飲まず、コーヒー、チョコレート、たばこを楽しんでいたようだ。今回は、ケンズカフェ東京(東京・新宿御苑前)の氏家健治シェフに、チョコレート業界の歴史について伺った。謹んで御礼申し上げたい。

※参考情報:当時のコーヒーハウス(主に男性の社交場だった)

18世紀のロイズコーヒー。出典:http://bit.ly/2mIqU3R(Lloyd’s Coffee House in the 18th century – from “The Top 10 Coffee Houses of Early Modern England”)

尾藤克之
コラムニスト

<アゴラ研究所からお知らせ>
―日本最先端の上級者向け出版メソッドが学べます―

アゴラ出版道場、第2回は5月6日(土)に開講します(隔週土曜、全4回講義)。「今年こそ出版したい」という貴方の挑戦をお待ちしています。詳しくはこちら!