「リベラリズム×リアリズム」はなぜウケないのか

梶井 彩子

長島議員の立ち位置の難しさ

離党するする詐欺男」などと実に不名誉なあだ名を付けられてしまった長島昭久議員。なぜ今なんだ、という指摘や比例復活当選について疑問はあるものの、離党表明会見での演説を読めば、「まあ、そうだよなあ……」と緩やかに同感する方も多いのではないでしょうか。

長島議員の離党理由や目指す政治の在り方を「きれいごと」と評す人もいることでしょう。確かに、長島議員の嘆息に「わかるわかる」と日本中の多くの人がそこそこ共感を示すのではないかと思う一方、では長島議員が強い求心力を発揮し熱烈な支持が集まるか、かというと、現時点では難しいのではないかと思います。

「不毛な争いをやめて、現実的建設的な話をしよう」「教条的な考えでは『ど真ん中』が空いてしまいますよ」という多くの人がそこそこ共感できるはずの長島議員の立ち位置が、政治に限らず言論状況においても「いまいちウケない」のは忍びない。

ではなぜそうなるか。一つには長島議員が言う「真の保守政党」なるものの立ち位置が分かりづらいからではないでしょうか。

保守か、リベラルか

長島議員は会見でこう述べています。

〈私は、「真の保守」というのは、国際社会でも通用するような歴史観や人権感覚を持ち得ねばならないと考えております〉

今「保守」と言えば、戦後の日本の在り方に疑問を呈し、戦後大手を振ってきた憲法や価値疑問を呈し、国際社会が抱いている認識に逆らっても自国の歴史観を主張する傾向の強い人たちを多くの人が連想します。しかし長島議員の演説には、自虐史観の脱却、強い日本の復活、などと言った保守おなじみのフレーズは見当たりません。

長島議員はこうも言っています。

〈「真の保守」とは何か。それは、我が国の歴史と伝統を貫く「寛容の精神」を体現したもの〉

井上達夫氏によれば〈啓蒙の伝統と寛容の伝統が、リベラリズムの歴史的淵源〉だという。となると、「寛容の精神」は保守とは対立しているはずのリベラルでもある、ということになってくる。「真の保守」を掲げる長島議員は憲法改正容認ではあるが、ゴリゴリの保守というわけではない。同じ「保守」と言っても、長島議員が「劣化した保守」と言っているものの同一線上に、ご本人は立っていないように思います。子供の貧困対策に取り組むなど、むしろ考え方は緩やかなリベラルではないでしょうか。

この辺りのズレが、「言いたいことは分かるけど、うーん?」「立ち位置が分かるような分からないような……」という「ウケない」読後感を産んでいる懸念があります。

「普通の人」は声をあげない

さらに難しいのは、長島議員が実際には緩やかなリベラルと思われる一方、外交・安全保障に関してはリアリズムに立脚している点です。非武装まで言い出しかねない「戦後日本のリベラル」とは異なった外交・安全保障観を持っており、民進党の中でも共産党との連携を前に、これが大きな溝になったと述べています。

日増しに高まる北朝鮮や中国の脅威に対し、「当然、自衛隊は必要だし、危機に合わせて『自衛』の概念も変わるのは当然だよね」「だから政府には外交安保をちゃんと対応してほしい」と考える人が大半のはず。保守の一部の人たちほどには中国・北朝鮮の危機を煽りすぎず、韓国に対するヘイトまがいの批判もせず、弱者に目を配るリベラル寄りな考えを持ちつつ、安全保障はリアリズムで対処する長島議員のポジションは、多くの人にとっては安心できる、理想的なもののはずです(財源さえあれば)。

ところが右でも左でもない人たちは声高にツイッターで政治や外交についてつぶやくことはないし、積極的に政治家を応援しようという姿勢にもなりづらい。まさにサイレントマジョリティ。長島演説は民進党嫌いの一部保守には若干「ウケ」ましたが、党批判の部分をクローズアップしてのことだったりもする。

結局、普通の生活で発露すれば浮いてしまうような強烈な「反安倍派」「親安倍派」の人たちばかりがネット言論で圧力を高め、互いに不毛と思える激論を展開していく。かなり単純化して言えば、日本のリベラルなら「多様性重視×軍備縮小」、保守なら「愛国ファースト×軍備増強」がとなりますが、長島議員のポジションである「多様性重視×軍備強化」の組み合わせは、本来多くの人が受け入れやすい価値観でありながら、両・圧力高い系からは弾かれてしまう。保守は「民進ではマシ」と緩やかな声援を送るでしょうが敢えて自民支持から乗り換えるかというと難しく、リベラルは「隠れ日本会議」「心は安倍内閣」などと心無い言葉を贈るわけです。実際には目立たずとも票を集めさえすればいいわけで、現実にも自民・民進の議員はこの辺りのポジションを漂っていると思うのですが、自ら飛び出して求心力を持つとなると……と思ってしまいます。

最も現実的な選択肢

「まっとうすぎてウケない」風潮は政治においてだけではありません。元海上自衛官である小原凡司さんの『何が戦争を止めるのか』(ディスカバー21)という本があります。本書ではリベラリズム×リアリズムという二つの思想を掛け合わせてこそ、戦争を惹起しない状況を国際社会に構築していけるのだと提言しています。

私は保守に属する立場にありながら、この本には大いに啓発されました。これから現実的な政治を国際社会で行っていくには、リベラリズム×リアリズムの組み合わせでやっていくしかない(のかもしれない)、とこの本を読んで思ったものです。

しかし当然と言うべきか、保守の間で話題になることはなく、話しても「きれいごとですね(笑)」で一蹴される場面すらありました。おそらくリベラルの間でもそれほど話題になっていないと思います(斎藤美奈子さんが書評していましたが)。もっと読まれるべき本だと思いますが、まさに、「ウケない」……(出版した筆者と出版社に敬意を表します)。政治だけでなく言論界でも、この手の本ではなくパンチの効きすぎている本が目立つ現象が左右で見られる。

「おそらく最も現実的な選択肢を提示する人が声援を送られない」状況を打破できるか。長島議員の行く末が、その試金石になるかもしれません。

(アイキャッチ画像:いらすとや)