「日中カルチャーショック」靴を脱ぐ際の羞恥感と裸足文化

2017年04月27日 06:00

私が引率し、日本取材ツアーに行った汕頭大学新聞学院の女子学生6人が学内のメディアに「中国人学生眼中の日本細節」を発表した。

9日間の滞在で気づいた細事を書き留めたものだ。トイレの清潔さ、名刺文化、礼儀、ごみ回収、軽自動車などのテーマに加え、興味深かったのが「日本の靴脱ぎ文化」だった。福岡に到着した夜、私たちは九州大学のある卒業ゼミに参加した。普通の居酒屋での飲み会だ。だが、学生の1人はまず、靴を脱いで掘りごたつ式の板の間に上がることをためらった。強烈なカルチャーショックだったようだ。

彼女はこう書いている。

「びっくりした。入口に靴がいっぱい脱ぎ捨ててあって、近づいてみると、靴を入れる専用の棚まである。みんな裸足か靴下で、木の床の上に座っている。私たちは一瞬、どうしていいか戸惑い、悩んだ」

彼女からすれば、中国人の一般的な公衆道徳では、「公共の場で足を見せるのは礼儀に欠ける」とみなされる。ところが滞在中、民宿でも一般家庭でも、ちょっとしたレストランでも、みな靴を脱いで部屋の中に上がることに気付いた。これが彼女にとって、日本文化との強烈な出会いとなった。中国でも都市部ではすでに、靴からスリッパに履き替える習慣が広がっているが、それは一部に過ぎない。大半の家、特に農村では、靴を脱ぐのはベッドで寝るときに限られている。ただし朝鮮族は外と内を厳格に分け、靴を脱ぐ習慣があるので、各民族によって異なる。

中国の伝統的なマナーは西洋人と通じる。西洋人が靴を服の一部と考え、人前で脱ぐことを恥じるという話は、何冊かの本や雑誌で目にしたことがある。手元にあるものでは多田道太郎著『身辺の日本文化』(講談社学術文庫)がある。同書には、「結婚式には靴の形をした盃でかための盃をするという習慣が、ヨーロッパの村には残っています。それくらい靴というものは彼らの頭のなかに浸み込んでいるのです」とある。「シンデレラ」を例に挙げ、靴が人生を左右するほ神秘的な力を持っていることにも言及がある。

西洋では靴の美学が発展し、足はその美しい靴に合わせなければならない。多少、足が変形しようとかまわない。それよりも靴を履いて、よく見せることが優先される。中国では、幼女の足指を折り曲げて布で縛り、成長を止めた纏足の習慣があった。これもまた、靴文化の中でこそ生まれたものだ。裸足文化で、足がじかに地面に触れることの多い日本人には、甲が高く、幅がEEEとかEEEEの甲高幅広(こうだかばんびろ)が多いのもうなずける。私も典型的なその1人で、靴選びはデザインでなくサイズが先行する。

列車や飛行機の長旅をすれば、当たり前のように靴を脱ぐ日本人には靴の神秘性がなかなか実感ができない。むしろ、我が家に戻り、靴を脱ぐ瞬間のホッとした気持ちこそがありがたいと思ってしまう。中学生の修学旅行だったか、ホテルの部屋を出たら、そこは公共スペースであって、廊下をスリッパで歩くのはマナー違反だと教えられた記憶がある。靴が身だしなみとして非常に重要だということを知った最初だった。

さらに興味深かったのは、学生たちが熊本の山荘に泊まった際、2、3人が一緒に入れる風呂があったが、彼女たちは「人に裸をみせるのは慣れない」と言って、1人ずつ入った。おかげでずいぶん時間がかかったが、これもやはり人前で服や靴を脱ぐことを恥とする文化なのだろう。日本人の「裸の付き合い」は容易に理解できないに違いない。

後漢書東夷伝にも魏志倭人伝にも、日本人は「手づかみで食事をし(手食)、みな裸足だ(皆徒跣)」と書いてある。2000年近く前にも、中国人の祖先は日本人の裸足文化に驚いていたことになる。ただし、かつては野蛮だとみなしていた習慣も、今では「文化」としてみる目に変わっているのは、大きな違いである。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年4月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。

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加藤 隆則
汕頭大学新聞学院教授、元読売新聞中国総局長

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