「9条」は世界の軍縮を促進せねば存在価値なし

日本国憲法が平和を定めても危機は顕在化しつつある(arif_shamim:flickr:編集部)

憲法第9条は日本だけが孤高の立場を永遠に取ろうという趣旨でなく、日本が範を示せば世界各国が倣うと期待したものだ。

平和憲法と憲法第9条は評判が良くて世界への日本の誇りだという人がいる。しかし、本当に、評判良いのか。たしかに、美しい理想でイメージとしては悪くない。とくに戦前の軍国主義とか、腹切りとかカミカゼといった武士の世界も含めて持たれている好戦的なイメージをふっしょこうする効果があったことはたしかだ。

しかし、本当に第9条が良いもので日本のためにもなったと評価されたら、それを真似る国が続々と現れるはずだ。実際、明治憲法については、日露戦争の勝利もあいまって世界的に憲法の制定と国会開設のブームを起こした。

それに対して、第9条は70年たっても誰も真似されない。つまりまったくその国にとって良いものとは評価されていないし、成功したともみなされていないと言うことだ。

しかも、一国たりとも追随しないどころか、元日本の一部だった北朝鮮が核武装し実用化段階にはいりつつある。こうした状況、まず、護憲派は第九条を空洞化させたくないなら、中国などに軍縮を勧めるのにエネルギーを使うべきだし、北朝鮮の核武装を阻止するために、アメリカなどの軍事的行動も含めて断固阻止することを含めて支持すべきだ。

それこそが、第9条を守るための最良の方策だ。

また、第9条を議論するときに、それが崇高な試みだったという立場にたったとしても、70年もたってどこも追随しない、それどころか、北朝鮮が核武装するという悲惨な結果をもたらしたということを踏まえた整合性のある思考が必要だ。

残念ながらどこも追随しなかったし、北が核武装するということになったので、日本も本格的再軍備して核武装するかも知れませんという立場もとるのもひとつの選択肢だ。それは北の核武装や中国の軍拡に対する最大の抑止力になるだろう。

9条を日本だけが長期間つづけていることによる国防意識の低下、軍事的ノウハウの蓄積の枯渇、兵器開発能力の低迷などは深刻だ。そのあたりが回復可能にならないという視点も大事なのではないか。

私は第9条改正に賛成ではない。平和国家のシンボルとして置いておくことはメリットも大きい。しかし、それがあまりにも理不尽な結果をもたらさない手当はするべきだし、逆に外国の軍拡を防ぐために実際的に活用されるべきで、外国の軍事力による脅しに屈するために第九条はあるのではあるまい。