ホリエモンの義務教育全否定 「すべての教育は『洗脳』である」

2017年05月03日 18:00

「21世紀の脱・学校論」と副題がありますが、教育じたいを論じるというよりは、ホリエモン氏が、保守的なサラリーマンの脱洗脳をこころみているという体裁になっています。多くのサラリーマンが、あまりに保守的になった原因が、学校教育ということです。

ホリエモン氏は、学校の弊害として、学校は勉強するところではなく「常識」をすりこむところだと分析しています。

学校で学んだ知識は「役に立たなかった」のではないだろうか。学校はただ、ゆがみきった「常識」を植え付けるために存在する機関なのである。主観の入りまくった、その時代、その国、その組織の中でしか通用しない決まりごと。それが常識である。(P20)

また、その「常識」とは、学校がそもそも19世紀のイギリスで、均一な工場労働者を育てることからはじまったことを指摘して、以下のようにのべます。

学校で押し付けられるのは、「工場=会社」の予行練習のようなことばかりだ。たとえば、時間割の厳守、全体行動、一方的な評価、ボス=教師の言うことへの服従・・・・・・。(P25)

その中での評価は、とても21世紀の社会で役に立たない能力を涵養していると喝破しています。

教師が評価するのは、全教科でまんべんなく点の取れる生徒だ。際立ったAはいらないから、すべてに「そこそこ」であるオールB人材が一番可愛がられる。残念ながら、21世紀の今も、こうした工場の体質を引き継ぐ多くの企業が、オールB人材の求人に励んでいる。オールB思考とは、「労働者には、自分のやることを決める権限はない」という、古臭すぎる価値観の名残なのである。(P93)

その具体的手段はこのようになっています。

具体的に、学校はどんな手段を使ってその洗脳を行い、すべての子どもたちをただの凡人に仕立て上げようとするのか。
「禁止である。」
非常にコストの安い教育手法だ。(P96)

禁止という低コストな集団教育は、没頭できず、自分の欲望に忠実になれず、我慢が大好きな労働者を育てるためには実に効果的なのである。身動きがとれなくなってしまというわけだ。(P98)

没頭する能力が、仕事への楽しみ、人生の充実を生みます。しかし、それとは逆に、学校によって没頭する力を奪われた人々は、自らにブレーキをかけ、行動力を失い、やがて好奇心さえ失っていきます。学校教育に過度の期待をする風潮には、一石を投じているのではないでしょうか。ただ、学校教育にさいている紙数は意外と少なく、サラリーマンに「その一歩を踏み出せ!」といういつものホリエモン節に、元学校関係者としてはものたりなさを感じた次第でございます。

昔と違い、授業よりもテレビやインターネットを見ている方が多くの情報を手入れることができるようになりました。家庭環境も変わってきていますが、学校教育はこういった変化に対応しようとしていません。学校事業とは、センセイの失業対策なのかもしれません。それゆえに、あいかわらず学校は勉強するところではないのでしょう。なぜ、ホリエモン氏の「没頭する能力」はうばわれなかったのかを詳しく知りたいところです。

中沢 良平(元小学校教諭)

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