社会的損失を増大させる時代遅れの道交法の早期改正を求める

2017年05月10日 06:00

近代法の原則(もしくはその一環)として「過失責任主義の原則」というものがあります。私法上、ある行為と因果関係のある行為によって損害が発生しても「過失」がなければ責任を負わないという原則です。

「過失責任主義の原則」は「所有権絶対の原則」や「契約自由の原則」と相まって資本主義の発展に寄与してきました。

損害が発生した以上、いかなる事情があろうとも責任を負わなければならないとすると、人間は極度に萎縮してしまいます。自動車の運転も列車の運行も常に高いリスクに晒されてしまうことになり、活動範囲が狭くなるだけでなく物流速度も著しく鈍化してしまいます。

そこで、「過失がない」と認定された場合には発生した損害の責任を負わないとしたのが「過失責任主義の原則」なのです。一定の注意義務を果たしていれば、発生した損害に対する責任を負う必要がないとする原則です。

道路交通法は、とりわけ自動車を運転する運転手に最低限度の注意義務を定める法律です。道路交通法を守っていても「過失」が認められるケースは多々ありますが、道路交通法違反で事故が発生した場合は「過失あり」と認定されるケースがほとんどでしょう。

では、道路交通法という法律によって、どの程度のレベルの注意義務を運転者に課すのが社会全体にとって望ましいのでしょう。ざっくばらんに言ってしまえば、注意義務に要する社会全体のコストと事故等によって発生する社会全体の損害との関係で考えるべきでしょう。

あくまで社会全体というレベルであって個別の事故の問題ではありません。

仮に100のレベルの注意義務を要求すると、事故は最大限に防止できるものの膨大な社会コストがかかるとしましょう。

自動車を運転する場合、運転前に時間をかけて念入りに車の点検をし、幹線道路でイノシシのような勢いで人間が飛び出してきたような時でも急停止できるよう低速で走らなければなりません。また、運転手の疲労による注意力低下に備えて常時2名以上のドライバーを載せなければならなくなるかもしれません。

自動車が壊れやすく、運転するにも集中力と手間がかかり、道路が全く整備されていないような環境であれば、事故防止措置として是認されたたかもしれません。

自動車の性能が向上し車道が整備されれば、法律で要求する注意義務のレベルを70に下げても、事故発生率は上昇しないでしょう。そうであれば、100のレベルの注意義務を要求するのは社会全体のコストを増加させるだけです。

もっとも、注意義務レベルを50まで下げると事故率が急激に上昇する恐れがあるとしましょう。具体的には、狭い市街地での速度制限をなくしてしまうようなものです。

確かに、人の移動や物流速度が速くなって社会全体のコストは低下するでしょう。しかし、事故発生率が上昇して社会全体のマイナスの方がコスト減によるプラスをはるかに上回ってしまいます。

このように、社会全体で考えると、法律で要求する注意義務のレベルは、発生する社会的損害と(コスト低下によってもたらされる)社会的メリットのプラスマイナスを斟酌して考えるべきでしょう。

この場合、発生する社会的損失を100とすると、コスト増による社会的デメリットは100を上回る必要があると私は考えます。個別の事故の問題ではなく社会全体の効用の問題なので、損失とデメリットを同値にするのが合理的だとするいう経済学的見地からの意見もあるでしょうが…。

社会的損害を100とすれば、どんなに慎重な政策スタンスであっても(コスト増による)社会デメリットは150くらいに抑えるべきでしょう。社会的デメリットを200に設定しても、社会的損失は100で変わらないかせいぜい99くらいにしかならないからです。

以上のように考えると、車の性能が飛躍的に向上し道路状況が整備された今日、何十年も前に作られた道交法の規定を維持するのは社会全体として大きなマイナスでしょう。

自動車の性能向上や道路整備による事故率の急激な低下によって社会的損失が300から100に低下したのに、コスト増による社会的デメリットだけは400のままにしているようなものだからです。トータルで300の社会的損失をもたらしているのです

実際、従来の環境であれば発生したかもしれないものの、今日の自動車の性能や道路事情ならまず発生しない事故を想定した規定が多く残っているからです。

典型的な規定は、踏切前の一時停止です。

何十年か前には、遮断器も警報機もない踏切があったのかもしれません。あってもよく故障していたのかもしれません。線路を電車が進んでこないことを確認するために一時停止して安全確認するという規定が設けられたのでしょう。

今の時代、遮断器も警報機もない踏切はほとんど存在しないでしょうし、両方とも壊れるという事態も(大停電でも起きない限り)考えられないでしょう。

そうであれば、一時停止の遵守は、交通渋滞を招いて排気ガスを増加させ、イライラ運転による事故の発生というマイナス効果しかもたらしません。

昔の高速道路とさして変わらない広々とした三車線の幹線道路の制限速度が50キロのままになっている例は全国いたる所に存在します。

真面目に50キロで走行していると頻繁に追い越しをかけられてかえって事故の原因になるので、ほとんどの車が80キロくらいで走行しています。

ところが、いかにナンセンスな速度制限であっても、運が悪いと「速度違反」で検挙されてしまいます。広い幹線道路でパトカーが制限速度で走っていると、その後ろに「大名行列」が出来てしまいますよね。

刑事政策の分野でも、「時代遅れの交通法規」は問題視されています。社会全体のマイナスの増加を回避するためにも、時代遅れの交通法規は迅速に改正すべきだと考えます。


編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年5月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。

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