国と地方のあり方(5月18日、憲法審査会での発言)

2017年5月18日(木)憲法審査会 自由討議より(見出しはアゴラ編集部)

憲法における地方自治のあり方

細野委員 民進党の細野豪志です。
会長、発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。

多くの方から御発言がありましたけれども、まずこの地方自治について我々が認識しなければならないのは、やはり憲法のわずか四条文という規律密度の低さだろうというふうに思います。

国と地方は対等だといいますが、憲法上、国会について二十四条文、内閣は十一条文、財政は九条文、これだけの充実した記述があるのに対して、わずか四条文というのはいかにも内容が薄い。これをどう改正するかということを前向きに議論すべき時期が来ているというふうに考えます。

多くの御発言はありましたけれども、私、条文に基づいて、私の思うところを述べさせていただきたいと思います。

まず、九十二条ですが、地方公共団体のあり方について、「地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」というふうに書かれています。これは、憲法が最も重要な地方自治の原則について法律に丸投げしている規定というふうにみなさなければならないというふうに思います。

やはり補完性の原理、これは、既に地方分権一括法でこういう書き方がなされております。住民に身近な行政はできる限り身近な地方自治体に委ねる。これが憲法上も極めて的確な条文として該当し得るのではないかというふうに思いますので、補完性の原理について書き込むこと。さらには、住民自治、団体自治についても、やはり九十二条を改正して書き込むべきであるというふうに思います。

次に、九十三条ですが、まず問題提起として私の方で申し上げたいのは、地方公共団体というこの言葉が極めて曖昧であるということであります。これは政府を指すのか、議会も含めるのか、もしくはエリアのことを指しているのか、極めて曖昧です。

そこで、定義を明確にすべきだというふうに思います。地方自治体ということを述べた上で、地方自治体には立法機関及び地方政府を設置すると書くのが適切だと考えます。やはり地方にも政府があるのだということを明確にすることによって、条例や課税権の問題にも必然的に議論が波及するというふうに考えるからであります。

次に、地方自治体の種類であります。

ここに道州制を書くべきではないかという議論も先ほどありましたが、ここは地方の自由度をある程度許容すべきではないかというふうに思います。すなわち、地方自治体の種類については法律でこれを定めるとした上で、地方自治体の意思というものを尊重するという書き方をしておけば、道州制も許容し得るし、また、例えば政令市が特別自治市に移行するような場合についても、住民投票によって移行可能であるというふうに私は考えます。

また、もう一点、重要な問題として我々が考えなければならないのは地方議会のあり方です。

先日、高知県の大川村が町村総会を開く、地方議会を解散するという話が出てまいりました。これは地方自治法で認められておりますので可能ではありますが、憲法上はかなりぎりぎりの措置だと私は思います。

また、大川村はわずか四百人ですから住民総会はできますが、例えば数千人の村であるとか、また一万人程度の町であるとか、そういったところで議会改革をする場合に、私は二元代表制はかなりもう無理があるのではないかというふうに思っておりまして、例えば議院内閣制のような制度を導入するということは憲法上認められていません。したがって、地方自治体のそれぞれの実情に合わせて議会を柔軟にやり得る書き方にすべきだというのが私の考えです。

そもそも、考えてみれば、一千万人を超える東京都から数百名の村まで一律にやるのはやはり無理があるということをあわせて申し上げたいと思います。

時間がなくなりましたのであとは省かせていただきますが、課税権さらには条例制定権の拡充に加えて、住民投票についてもしっかりと位置づけるべきであるというふうに考えます。

最後に一言申し上げたいのは、私も地方自治について具体的な提案をいたしましたが、残念ながら、余り反応はありませんでした。したがって、各党が、きょう前向きな発言がありましたのでしっかりと議論を進めていくことを期待したいというふうに思います。

思い起こすべきは、自由民権運動の時代、明治憲法の時代に五日市憲法であるとか植木枝盛であるとか、いわゆる私擬憲法が地方から出てきたことは特筆すべきだというふうに思います。

先日、愛知県の大村知事が、地方自治こそ憲法改正の主題であるべきだという御発言をされましたが、地方がしっかりそういう声を上げ、国会は受けとめて各党で議論を進め、しっかりと八章についての改正が前に進むことを期待しておるということを最後に申し上げて、私の発言を終わりたいと思います。

国家緊急時における私権制限について

○細野委員
細野でございます。
発言の機会を二回目いただきまして、ありがとうございます。
古屋先生の方から、非常に私の出した提案を前向きに御評価いただきまして、過分なお言葉をいただいたというふうに思います。

さまざまな緊急事態において国政選挙を行い得ない状況であるにもかかわらず、憲法上の規定によって行わなければならないということになるのは、これは国家としては避けなければならないというふうに思いますので、その議論がぜひ前に進むことについては期待をしたいというふうに思います。また、必要性についても極めて高いというふうに考えています。

一方で、中川委員と私の発言の矛盾でございますけれども、中川委員の方からは、国家緊急権を憲法に明記する必要はないという発言でありまして、私の提案は、国家緊急権を提議したものではありません。自然災害など選挙が行い得ない事態においては先延ばしをできるということを書いたものですから、そこは整合性はあるというふうに思います。

逆に、きょう御発言を必ずしもいただかなくてもいいんですが、自民党の皆さんに考えていただきたいのは、国家緊急時における私権制限というのは具体的にどのようなものかということなんですね。
私も、東日本大震災を経験いたしましたので、私権制限は明確に必要だという立場です。

例えば、憲法二十二条の職業選択の自由。あの緊急時において、自衛官や東電の社員が職業選択の自由を行使してどんどん現場からいなくなったら事故対応はできませんでしたので、これは制限をしなければならない。また、憲法二十九条の財産権。これも、私有財産を放棄して避難をしていただかなければならないようなケース、さらには、有事において、例えば自衛隊が行動するのに私有地を使うようなケース、これも制約が必要であるというふうに思います。

ただ、注意すべきは、憲法二十二条、さらには二十九条には、条文の中に明確に、「公共の福祉に反しない限り、」「公共の福祉に適合するやうに、」という文言があるわけですね。つまり、この財産権と職業選択の自由については、憲法上認めておりますので、法律によって明確に制限が相当程度できるだろうというのが私の理解なんです。

したがって、自民党の皆さんが、国家緊急時において私権制限が必要であり、私もそこまでは認めます、憲法改正が必要なというふうにおっしゃるのであれば、二十二条、二十九条以外の人権において制約が必要だということならば、御説明をいただきたい。

さらには、二十二条、二十九条の公共の福祉による制約を超えて、何か特別に必要なという事情があるのであれば、そこの御説明をいただかないと、国家緊急権が必要であり、さらには私権制限をするのであるという根拠にならないということをぜひ御理解いただいて、そういった形の議論が前に進むことを期待したいというふうに思います。

以上です。


編集部より:この記事は、衆議院議員の細野豪志氏(静岡5区、民進党)のオフィシャルブログ 2017年5月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は細野豪志オフィシャルブログをご覧ください。