メンツ文化は「顔色(イエンスー)」を重んじる

中国で「色」とだけ言ったら、色情を連想されて失笑を買うことになる。一般的な「色(カラー)」の意味としては、「顔色(イエンスー)」が使われる。「イエンスー」には、顔に現れた表情の意味もあるが、その場合は、「臉色(リエンスー)の方が通りがいい。いずれにしても、「顔色」が「色」そのものを意味するほど、人々が顔色に注意を払っているということだ。さすがメンツを重んじる文化である。

だが、なぜ色の前に「顔」がついているのか。周囲の中国人に聞いても、首をかしげるだけだ。「そんなことを考えるのは外国人だけだ」と言わんばかりである。あまりにも当たり前なので、疑問を抱く必要もない。

久しぶりに友人に会うと、こちらが恥ずかしくなるほど、のぞき込むようにじっと顔を見つめられる。そして相手はこんなふうに語りかける。

「顔色がいいね。生活がうまくいってるんだね」
「元気がないなぁ。水が合わないんじゃないか」
「仕事ばっかりで、ちゃんと寝てないんじゃないのか」

言葉を交わすまでもなく、顔色から健康状態や生活ぶりを読み取ろうとする。それはまた、相手への関心や気遣いを示し、深い友情を伝えることにもつながる。色は色彩を区別するためのものではなく、人間にとって一番大切なもの、健康、生命、感情、それらがすべて現れる顔の表情である。どのように人の目に映るか。その関係を含んでいる。漢字の意味を解説した『説文解字』には、「色は顔気」とある。

成り立ちをさかのぼれば、「色」は人の交わり、両性にかかわる形から生まれている。

人と人との関係を重んじる視点では、「顔色」につながる。どこまでいっても最後は人に行き着く。それがどうして、物質の外観や性質を示す意味に転じ、人の外にある色(カラー)になったのか、興味が尽きない。それがなければ、われわれは「色即是空」の言葉に出会っていない。

中国では旗幟(きし)鮮明という。日本ではその言葉のほか、「旗色(はたいろ)を鮮明にする」と「色」に転換させる表現を生んだ。空気を重んじる社会だからこそ、色にこだわるということなのか。

それにしても「旗色」のはっきりしない人間が多過ぎる。下手をすると、色がコロコロ変わるような輩も少なくない。「色」から「いろいろ」が生まれたように、本来、はっきりさせるべきものが、雑多な中で埋もれてしまう。「旗色」が「良い悪い」といったあいまいな言い方で表現されたりもする。「旗色」より「旗幟」の方が、より立場を鮮明にするに思える。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年5月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。