「忖度を集めて空し、霞が関」

上山 信一

霞が関の官庁街(街画ガイドより:編集部)

もうすぐ6月、梅雨がくる。「五月雨を集めて早し、最上川」という句の情景にふさわしい季節になる。一方、東京では、「忖度を集めて空し、霞が関」という昨今である。小さな嘘の一滴が忖度という増幅装置の下で大きな大河となり、政府が信用を失いつつあるのではないかという懸念が広がる。

事の真偽は不明だ。だが最初はささやかな嘘だったといわれる。私利私欲のためではない、誤解を恐れたためで不適切でもない、ちょっとした事実にまつわる嘘だったらしい。だが組織の長が嘘をついたと思われてしまった。相手方は納得しない。次々と繰り出される質問に対し、組織をあげて対応することになる。そして今度は本当の、あるいは別の嘘で取り繕うしかなくなったと思われる情景だ。それを組織をあげて忖度してやり続けると全員が嘘をつくことになってしまう。

何かに似ていないか。東芝、東洋ゴム、三菱自動車のような組織ぐるみの違法行為だ。政府はそれを取り締まるはずだが、今の日本ではもしかしたらそれが政府で起きているかもしれないという懸念がぬぐえない。三権分立も明確には機能していない。国会は追求しきれない。司法は動かない。

かくして今の霞が関では、あたかもトップの意向の忖度とそれを受けた嘘の拡大再生産がとまらないようだ。「大事な契約交渉の記録を取っていない」「書類は破棄した」「PC記録もない」「口利きはしていない」「上からの指示はなかった」「忖度もしていない」「出てきた文書は怪文書だ」など、事の真偽はさておき、国民からすればにわかには信じられない話が多すぎる。

米国では大統領のツイッターが似たようなことを言っている。だが日本では官僚たちが国会で真顔で答弁する。日本の方がたちが悪いだろう。なぜなら生身の人間ではなく、官僚機構というマシーンが精緻な嘘をついている可能性がある。組織ぐるみのつじつま合わせのためにはまた精緻な嘘をつき続けることになる。組織をあげて嘘を核分裂的に増殖させ、もう止まらなくなるだろう。やがて嘘と忖度で足の踏み場もなくなった政府は国民の信用を失うのではないか。

政権交代して景気は良い、特区(獣医学部を含む)を進めてきたのもよい、学校に寄付をするのも個人の自由である。政治家の金銭の授受もないようだ。

だが、行政は公正かつ中立を旨とする。組織の長は、怪しい事案がでてきたら官僚たちに「俺の意向の忖度は絶対にするな、公平公正な行政が君たちの使命だ」と口を酸っぱくして説くべきだろう。ところがどうも開き直りの気配であり、これはもう昔の中国なら天罰が下り、易姓革命に至る前夜なのかもしれない。

誰もが「うそつきは泥棒の始まり」と子供の頃に教わった。ましてや組織の長だ。それを疑われただけでも、不名誉、会社ならアウトである。政府が信頼を失ったら憲法改正はたぶん無理だろう。これが目の前の現実ではないか。

ことの真偽がはっきり証明されない。それもあって政府の意向を忖度するメディアが多い。支持率も高いらしい。だがプロの矜持はどこにいったのか?報道の自由を守るのはメディアの使命だろう。すでに起きている未来の姿が見えている気骨あるジャーナリストはたくさんいるはずだ。彼らの勇気と奮起を期待したい。


編集部より:このブログは都政改革本部顧問、上山信一氏(慶應義塾大学総合政策学部教授)のブログ、2017年5月22日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた上山氏に感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、上山氏のブログ「見えないものを見よう」をご覧ください。