現地を知らずに中国を語る日本人たちにひと言②

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前回は、「OKY(お前が、来て、やってみろ)」について触れたが、その後、北京駐在時代、上海に立ち寄った際、「OKO」という言い方に変わっていることを聞かされた。「お前は、ここに、おったやろ」との略だという。この手の話は、現業部門の多い上海の方が早く広まる。しかも、上海は関西系が多いので、言葉遣いも影響を受けるのだろうか。

駐在員のころは本社に対しさんざん「OKY」と言っていたくせに、日本に帰任した途端、本社の意向を代弁し始める。立場が変わると、コロリと態度まで変わる。機械の歯車である以上、やむを得ない面もある。だが現場には、現地状況を熟知しているのだから、むしろ本社との橋渡し役になってほしい、との期待があるだけに、苛立たしさも募る。それが「OKO」には込められている。

「OKY」にせよ、「OKO」にせよ、共通しているのは、外国に出ても、金魚のフンみたいにまとわりついてくる日本の内向き志向だ。書店でも、中韓を袋叩きにし、日本も捨てたものではないと自らを慰めるような、お粗末な本が目立つ。最近、ネットで読む日本のニュースを見ても、霞が関の中で起きている村社会の騒動にしか映らない。メディアはいつものように目先の現象を追うことにしか関心がないから、大きなスケールで事象をとらえる視点が感じられない。外国人に説明しようのない内輪話が多すぎる。

中国近代の民主化運動をリードした胡適は「自由独立の人格がない国家は決して改良進歩の希望がない」「社会を改良するためには、まず今の社会がまともな社会ではないということを認めなくてはならない」」(『イプセン主義』)と自己反省を求めた。内向きの日本社会は今、まさにこの自省を欠くため、相手のあらを探して殻に閉じこもるしかない。目まぐるしく変化する中国の現状を見定める知力も忍耐も勇気もないため、お決まりのステレオタイプを持ち出し、目を覆って防御するしかない。

2か月前、汕頭大学新聞学院の学生を引率して九州の環境保護取材ツアーを行った。学生たちの記事は新華社などを通じてすでに報じられているが、私が取材に同行し、最も驚いたのは、北九州市の食品リサイクル会社「楽しい」を訪れたときのことだ。(学生原稿参照

取材した環境保護関連企業の多くは先端技術を備えた大企業で、「楽しい」は最も規模の小さい工場だった。だが2016年には清華大学EMBAコースが視察に来て、参加した中国の地方企業がすでに合同プロジェクトに着手している。狭い事務所には、その会社から送られた「相照肝胆(肝胆相照らす)」の力強い書が掲げられていた。

日本でもおそらく「楽しい」を知る人は多くないだろう。だが、もう中国人は将来の膨大な食品リサイクル市場に目をつけ、一歩進んだ日本の企業に接触している。これが実際の姿だ。「爆買い」ツアーを奇異の目を持って見ているだけでは、とうてい理解できない。

今はどうかわからないが、以前、上海の日本企業は11月に入ると、急に本社の幹部を招いた会議が増えた。上海ガニのシーズンになるので、みながそれを楽しみに来るのだ。現地スタッフは接待業務に追われる。そうすると私のところには、今まで全く付き合いもない企業の広報担当者から連絡が来て、「担当役員が日本のメディアにあいさつ回りをしたいので、少しでもいいから時間をとってほしい」という。

現地の事情を深く教えてほしい、というのではない。効率よく、できるだけ多くの新聞、テレビを巡回するため、分刻みのスケジュールが組まれる。記者の名刺を多く集めれば、それで出張の名目が立つというだけだ。ことさら名刺を求める態度から、その意図ははっきりとうかがえる。その場限りの、全く意味のない面会である。

他の国には見られない、極めて特殊な文化だ。外国人にはどう説明しても、理解してもらえないだろう。私でさえ理解できなかった。宴会の上海ガニを思い浮かべながら、早く野暮用を済ませたいと思っているような出張者に、何を言っても意味がない。「現地の説明をするのなら1時間以上はかかる」と返事をして、それでも足を運んでくれた企業だけしっかり応対をした。記憶に残っているのは1社だけである。もう10年近く前の昔話だが、昨今、日本から伝え聞く話から想像するに、今もそう変わっていないと思う。

「少しだけでいいので時間をください」というのは、時に、相手への敬意を欠いた表現になる。当時の体験をもとに、授業ではこう学生に話している。「30分で済むので、先生の記者経験を聞かせてください」というのは、先生の経験を尊重していないことになる、と。ネットの検索で真実を探すことはできない。時間と手間をかけなければ、相手を知ることはできない。知っている世界が狭ければ、だれも探しに来てくれない。

(続)


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年6月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。