現地を知らずに中国を語る日本人たちにひと言③

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今回は、日中間の「懸案」であるこの島の話題も絡めます(編集部)

1人の人間を評価するのに、ある一つの出来事、あるいはあるひと言、あるいはある特定の時期、場所に限って判断すれば、一面的であり、正しい人間理解ではない。このことは当然だと多くの人は頭で理解している。だが、ステレオタイプ、先入見に働きかけることで注目を引こうとするメディアはしばしば、手間を省いて、安易に環境を把握したいと願う人々のスキに付け入る。こうして誤解や偏見が永遠に拡大再生産されていく。被害者は、誤った世界観を押し付けられる情報の受け手である。

インターネット空間は、情報の送り手と受け手の境をあいまいにし、時には完全に取り払ってしまうので、拡大再生産のメカニズムはより複雑化せざるを得ない。

だが、個人であれば、名誉や地位、財産が法による保護を受けるので、報道には一定のデッドラインが引かれる。逆に、相手が権力や金力を握った者であれば、メディアは卑屈なほどに小心翼々とし、本来の責務を平気でないがしろにする。それはしばしば、現場の自己規制によって起こる。多くのケースを私は見てきた。戦中の検閲制度と全く同じ状況だ。メディアがいつの間にか、規制される側から、進んで規制に関与する立場に転換する。動機はあくまでも小役人的な自己保身に過ぎない。

特に、報道の対象が1人の人間でなく、つかみどころのない国家になると、メディアの無責任度は格段に増幅される。偏見や先入見の度合いも、底なし沼のように深まり、軌道修正が不能なほどにまで進んでいく。お決まりの鋳型に事実を押し込めておけば、リスクを負うこともない。無責任とは責任回避と同義である。しかも、メディアが権力と一体化した場合、政治家の利益と国益が混同され、報道は単なるプロパガンダの道具、民族主義、国家主義を煽るだけのマシーンと化す。

拙著でも取り上げた一例を示そう。

私が読売新聞に在籍中、「尖閣諸島を巡る領土問題」と書いたところ、「社説は領土問題を認めていないのでこの表現はまずい」と言うデスクがいた。政府の立場で「存在しない」ということと、実際に「存在している」ことは分けて考えるべきだと主張し、言い合いになった。結局、相手も「おれもそう思うけど、上の人間がうるさいから」と泣きついてくる始末だった。

ちなみに、読売新聞は1979年5月31日の社説「尖閣問題を紛争のタネにするな」で、次のように書いている。

「日中双方とも領土主権を主張し、現実に論争が“存在”することを認めながら、この問題を留保し、将来の解決に待つことで日中政府間の了解がついた。それは共同声明や条約上の文書になっていないが、政府対政府のれっきとした“約束ごと”であることは間違いない。約束した以上は、これを順守するのが筋道である」

過去の読売社説を調べてみると、中国が1992年に領海法を制定し、尖閣諸島を中国領土と明記した以降も、「日本の立場からは棚上げ論はあり得ないが、領土問題でいたずらに角突き合わせて日中、日台関係全体が悪化する事態になることはお互いにとって不利益だ」(1996年9月26日)と穏当だった。だが、国有化による関係悪化後は一変し、「尖閣諸島を巡る領土問題は存在しないというのが日本の立場だ」(2012年9月14日)から、さらに踏み込んで「尖閣諸島は日本固有の領土であり、棚上げすべき領土問題は存在しない」(2013年8月13日)と強硬な姿勢を明確にした。

従来の社論を軌道修正することは、恥ずべきことでない。不変の真理などそもそも存在しない。誤り気づいたとき、きちんと事情を説明し修正や訂正をすればいい。肝心なのは、説明責任である。トップの意向で変わったとは、言い逃れにもならない。それがないまま、時の風向きだけでコロコロと主張を変え、「空気」をもって議論を封殺するのであれば、もはや言論機関とは言えない。

それどころか権力と一体化し、本来、最も求められるべき権力のチェック機能を放棄してしまえば、社会に害悪をまき散らすだけである。機関紙と化した新聞には、報道の自由も、社会の正義も、語る資格はない。

残念ながら、新聞を「社会の木鐸」「社会の公器」と呼ぶ時代はとうに去った。人気就職先ランキングからも淘汰された。インターネットの出現だけにその理由を押し付けていては、再起は見込めない。隣人である大国の素顔を、じっくり腰を落ち着けて眺め、忍耐強く真実を見極めようとする覚悟はあるのかどうか。現状のままでは悲観するしかない。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年6月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。