【映画評】22年目の告白 私が殺人犯です

2017年06月12日 06:00
22年目の告白-私が殺人犯です-

1995年、5人の命が奪われる凄惨な連続殺人事件が発生。新米刑事の牧村は、あと一歩のところまで犯人を追い詰めながら取り逃がし、敬愛する上司まで殺されてしまう。それから22年後。突如、事件の犯人を名乗る男・曾根崎雅人が告白本を手にし、盛大な記者会見を開いて、自分こそが犯人だと名乗り出る。不敵な笑みを浮かべる彼は、時効が成立し法では裁けないことを知って、世間やマスコミの前に姿を現したのだった。この美しくも大胆な犯人に、ネットは熱狂し、賛否両論を巻き起こす。マスコミを引き連れて被害者遺族に謝罪するかと思えば、事件を執念深く追う牧村刑事を挑発する曽根崎。だが彼の行動は、日本中を巻き込む新たな事件の始まりだった…。

未解決のまま時効を迎えた連続殺人事件の犯人が世間に現れたことで新たな事件が巻き起こる「22年目の告白 私が殺人犯です」。オリジナルは韓国映画の秀作サスペンス「殺人の告白」だ。オリジナル既見のファンには、前半の、犯人である曾根崎の言動の真意については察しがつくだろうが、この日本版リメイクは、その先にもうひとつのどんでん返しを用意している。1995年といえば、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が発生した年。ギラギラした怒りや恨みが際立った韓国版に対し、日本版には深い哀しみと嘆きが漂うのは、国民性もさることながら、理不尽な大惨事が続発した1995年を背景にしたことと無縁ではないだろう。謎解きの詳細は映画を見て確かめてもらうとして、なかなか意欲的なリメイクであることは認めるが、終盤の展開は、どうも納得できない。自分への罰、あるいは歪んだ虚栄心、はたまた心の奥底のトラウマが判断を狂わせたと考えるべきなのか。ともあれ、時効への法制度の変化の意味や、天災、人災、戦争、テロなどが人間の心をいかに深く蝕むかを改めて考えさせられた。藤原竜也、伊藤英明、両名の抑制のきいた熱演には、思わず感服したが、個人的には韓国映画の衝撃に軍配をあげたい。
【60点】
(原題「22年目の告白 私が殺人犯です」)
(日本/入江悠監督/藤原竜也、伊藤英明、野村周平、他)
(どんでん返し度:★★★★★)


この記事は、映画ライター渡まち子氏のブログ「映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評」2017年6月11日の記事を転載させていただきました(アイキャッチ画像は公式Twitterから)。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。

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