経済混乱覚悟で統一を決断したコール首相の思い出

2017年06月17日 06:01

コール元独首相が死去した(写真はWikipedia)。ミッテランと名コンビを組んでマストリヒト条約を主導した。このころ、フランスは、本来はソ連が攻めてきたときに、ドイツに撃ち込んでソ連を食い止める気で開発した核兵器を、ドイツにやってくる前に使う方向に改めたといわれていた。

1992年にフランス財界の訪独団に潜り込んでボンに行って首相官邸で会ったことがある。性急な東西統一に嫌気が指して混乱が続いていたときだ。「もう少し慎重に時間を掛けて統一してよかったのではないか」とフランス人に聞かれてコール首相は、「このチャンスを逃したら永遠に統一できないかもしれないと思ったので混乱覚悟で踏み切ったまでのこと」とさらっと言い切った。なるほどこれが政治家だと思った。

サミットの様子について語り、各国首脳の印象をコメントしたが、そのなかで、海部首相については、「日本の首相はいつものように微笑んでいた」といっていたのが印象的だった。いろいろ言うが、安倍首相のサミットでの活躍を見ていると、本当に進歩したものだと思う。

1990年7月、統一ドイツのNATO加盟について、ゴルバチョフ・ソ連大統領(中央)との交渉に望んだコール首相(右)

故郷はドイツ西部で、そのときも、「首相になる前は、毎週末にフランス領に入って美味しいものを食べるのが楽しみだった」といっていた。太っているが、毎年、夏休みに入院して20キロ痩せて、一年かけてまたその分太っていたという。

マクロンとメルケルの“仏独枢軸”は、ミッテラン&コール以来、最良の状況にある。コールも安心したことだろう。

1984年9月、第一次大戦の戦没者墓地でミッテラン大統領と手をつなぎ、歴史的な和解を演出したコール首相(ドイツ政府公式サイトより:編集部)

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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