期末雑感⑤同性愛論を通じて探る教室の身分関係

2017年06月27日 06:00

中国のある大学で昨年、実際に起きた事件である。だがなお若者たちの心には深く刻まれている。だから期末課題のテーマ「身辺の出来事を報じる」にも複数、昨年の事件に触れた記事があった。

社会科学の理論課程で、学生が同性愛に対する社会の認識について発表をした。学生が、同性愛者に対する社会の不理解を指摘し、弱者としての立場を強調すると、教師はいきなり話を打ち切らせ、壇上から降りるよう命じた。教師は、「同性愛は自然の法則に反し、同性愛の婚姻を認めることは反社会的だ」と言って譲らなかった。

学生たちはSNSで不満をもらし、それが拡散して学内に広まった。同性愛に対する見解の是非ではない。偏った意見に固執し、異なる意見を一切認めず、教師の権力をかざして学生に専制を強いる、そのやり方が問題なのだ、と。人格を侮辱し、学問の自由を侵し、礼節に反し、人道主義にももとるものだ、と。学生の声が力を得て、教師は結局、公開の学内サイトで謝罪を迫られた。「自分の考えは改めない」との前置きがあったが。

中国では小中高を通じ、教師の権威は非常に高い。親たちも、教師ににらまれたら進学に不利なので、ことのほか気を遣う。人質に取られたようなものだ。教師への過剰な贈答が「教育腐敗」として社会問題化するのはこうした背景がある。教師もその権威を利用し、生徒の前で居丈高に振る舞う。成績の悪い子を問答無用に切り捨てることも厭わない。進学率は教師の考課に直結する。子どもたちは服従を強いられ、教師を畏怖する対象として崇める。教師と生徒の間には深い溝ができる。

権威の裏付けがない権力は、監視されにくい状況の中で、抑制がきかなくなる。特に、人望がなく、権威の薄れた教師は、権力を振りかざすことによってしか、自分の存在感を示すことができない。そして、専横が助長される。子どもたちはこれまで、教師の不当な権力行使にも黙って従うしかなかった。だが、SNSの発達は権力をけん制する力をもたらした。

期末課題で昨年の事件を問題視した女子学生の一人は、授業でも「メディアにおける同性愛者に対する偏見」のテーマで研究発表をしたが、実は、こうした教師に対する不満の表明でもあったことを、私は後で知った。彼女の期末ペーパーには最後にこう書かかれていた。

「自由な意見表明の場を与えてくれたことに感謝します。小さな火でも明かりになります。自由な気持ちをもって生きれば、明日はもっと明るくなる」

まっさらな学生たちの目は、こんなふうに教師を、社会を凝視している。私は、学生たちの目の奥底から、こちらの腹の底を探るような視線を感じることがある。意見を押し付け、反対意見に耳を貸さない大人の態度は、圧政の象徴となる。それでなくとも、身の回りは言論や思想の規制に縛られているのだ。警戒心は非常に強い。自由や権利、性の問題は、押さえつけられているほど、その反作用が大きい。インターネットは、すでに閉鎖的な言論空間を打破してしまった。情報を封鎖し、思想をかごに押し込める旧式の手法はもはや通用しない。

彼女たちは、学生と同じ目線で接し、対等に議論し、そのうえで、視野を広げてくれる存在を求めている。長い間、かごの中に閉じ込められた小鳥が、外の世界に飛び立つのをとても怖がっている。かごの中で従順にいるほうが、不自由なりに安全なのではないか。いったん外に出たら、迷子になって、見知らぬ外敵に食い散らされてしまうのではないか。そんな不安を抱えている。恐る恐る、かごから飛び立つすべを探しているのだ。

一クラス30人の学生を前にして、常に肝に銘じていることがある。彼ら、彼女らの目の奥に、単一な社会で育ったわれわれには想像のつなかい複雑な社会が広がっていることだ。目の前に座っているのはまだ20前後の若者だが、私が向き合っているのはこの社会そのものなのだ。社会の実情をしっかり把握しなければ、学生一人一人を理解することもできない。

卒業生たちとの記念撮影があった。まだ就職の決まっていない学生もいる。働き始め、すでに給料を手にしている者もいる。すべての者に幸多からんことを!

(続)


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年6月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。

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加藤 隆則
汕頭大学新聞学院教授、元読売新聞中国総局長

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