【映画評】セールスマン

The Salesman

教師のエマッドとその妻ラナは、小さな劇団に所属している。稽古で忙しい日々の中、新居に引っ越すが、そこでラナが侵入者から襲われてしまう事件が発生。ラナは心と身体に深い傷を負ってめっきり口数も少なくなる。一方、エマッドは犯人を捕まえるために「警察に行こう」と妻を説得するが、ラナは頑なに拒否する。立ち直れないラナとやり場のない怒りを持て余すエマッドの心はすれ違い、夫婦仲は険悪に。やがて犯人は前の住人だった女性と関係がある人物だと分かる。残されたトラックから手がかりをつかんだエマッドは、自力で犯人をつかまえようと決心するが…。

突然の暴行事件を機に心がすれ違っていく夫婦と、現代イラン社会の歪みを描く人間ドラマ「セールスマン」。乱暴な建築工事のせいで引っ越すハメになった夫婦は、冒頭の住宅崩壊場面から不安な表情を浮かべている。妻ラナをレイプ、暴行された夫エマッドの犯人捜しと復讐劇がストーリーの軸となるが、そこで描かれるのは、近代化してもなお、イスラム教の古い価値観やモラルが横行する、矛盾した社会の在り方だ。前の住人の女性はどうやらいかがわしい商売をしていたようで、犯人はその女の常連客との目星がつく。だが被害者であるラナは、不注意からドアを開けたことや、暴行されたことそのものを恥じ世間体を気にして警察に訴えようとしない。それを聞いた隣人は「正しい判断だ。どうせ警察は当てにならない」と言い放つ。一方、夫のエマッドは、犯人を捜して復讐したいのだが、見知らぬ人物を招き入れた妻を心のどこかで責めている。夫婦にアパートを斡旋した劇団仲間は、前の住人が怪しげな仕事をしていたことを故意に黙っていた。皆、それぞれ後ろめたい部分があって、犯人捜しのミステリーというよりも、被害者側の心理サスペンスに傾いていく。単純な正義や善悪では割り切れないこの曖昧さこそがアスガー・ファルハディ監督の持ち味だ。登場人物たちの葛藤を、劇中劇のアーサー・ミラーの傑作戯曲「セールスマンの死」と重ね合わせて描く手法が巧みである。急激な時代の変化に取り残された老セールスマンの心情が、現代イランの社会、特に、自由になったかに見えて、まだまだ抑圧されているイスラム圏の女性の実態と重なって見える。そして終盤、夫婦が対峙する意外な犯人と、その顛末に、言葉を失った。監督と主演女優は、トランプ政権によるアメリカ入国禁止令に抗議して、米アカデミー賞授賞式をボイコットしたが、本作で見事にアカデミー賞外国語映画賞を獲得。政治的な流れが受賞に大きく影響したのは確かだが、それを差し引いても、社会風刺と人間の深層心理を緻密なドラマで描いた秀作であることに間違いない。
【75点】
(原題「FORUSHANDE/THE SALESMAN」)
(イラン・仏/アスガー・ファルハディ監督/シャハブ・ホセイニ、タラネ・アリシュスティ、ババク・カリミ、他)
(葛藤度:★★★★★)


この記事は、映画ライター渡まち子氏のブログ「映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評」2017年6月29日の記事を転載させていただきました(アイキャッチ画像は公式Facebookページから)。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。