中国でやっと公開されたチベット映画「カイラス山」

加藤 隆則

北京にいる際、時間があったので映画館に行き、ちょうど公開中だった中国映画『岡仁波斉(Kang Rinpoche =カイラス山』(英語名 Paths of the Soul)を観た。すでに日本では昨年7月公開されており、1年遅れての本土上映である。監督は張揚(チャン・ヤン)。彼の作品では、出稼ぎ農民の故郷への愛着を描いた『落葉帰根』が印象に残っている。人間の根に心を寄せる監督だ。

日本名は『ラサへの歩き方 祈りの2400km』。旅行ガイドのようなイメージを与えるので、深淵な内容にはそぐわない。どうしてこのようなタイトルをつけたのか、まったく理解できない。

中国チベットの寒村からラサを越え、ラマ教の聖山であるカイラス山まで2400キロ。このの難路を1年をかけて巡礼する村人11人を追った作品だ。道中、彼らは両手から体を地面に投げ伏し、額を地面に擦り付ける「五体投地」を繰り返しながら進む。プロの俳優ではない、現地のチベット人を役者に起用し、淡々と日常の表情を描いていく。フィクションだが、あたかもドキュメンタリーを観ているような錯覚に陥る。素人役者のぎこちなさが感じられない。

長老がチベット教特有のマニ車を回しながら先導し、みなが黙々と五体投地をしながら続く。妊婦も子どももいる。家族や友人の安泰を祈りながら、信仰心に支えられ聖地を目指す。長老が石を積み上げるのが休憩のサインだ。同じ巡礼者に出会えば、茶を振る舞い、足りないものを分け合って助ける。山道では野宿をし、ラサで泊まった宿では、女主人から祈りを託され、宿泊を免除される。

荷物を運ぶ耕作用のトラクターが乗用車にぶつけられ動かなくなる。相手が「急病人を乗せているので急いでいる」と言うと、文句も言わずに先を急がせる。自分たちはエンジンを放棄し、荷台を押しながら進むしかない。水の上も、雪の上も、足場の悪い岩山も。祈りの前で損得や功利は問わない。現代社会の価値観とは対極にある。急なお産で赤ちゃんが生まれるが、誕生の慶事を祝って旅は続く。長老は山を目前にして永眠する。僧侶を呼び、遺体を山に葬る。自然に返るのだ。

人生の悲喜こもごもも、過剰な演出ではなく、地元民の自然な日常の一コマとしてカメラが追い続ける。毎晩、テントではみなが声をそろえてお経を唱える。静かに眠り、日が昇ればまた五体投地を繰り返す。起伏に富んだ刺激的なストーリーが展開されるわけではないが、混じり気のない生活がある。

10年以上前、ラサに行ったことがある。五体投地を繰り返すチベット族に、漢族が興味本位でカメラを向け、顰蹙を買っていた。漢族たちはみな「なんであんな無駄のことをするのか・・・」と口をそろえた。純粋な信仰が理解できなかった。そして今、遅ればせながらも国内で公開された。拝金主義がまかり通り、人々の気持ちがすさんでいく世の中で、みなが心の安堵を求め始めている。地味な映画の公開は、信仰を理解し始めた兆候なのかも知れない。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年7月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。