【映画評】裁き

インド、ムンバイ。ある日、下水清掃員の死体がマンホール内で発見され、間もなく、年老いた民謡歌手カンブレが拘束、逮捕される。容疑は、彼が歌った煽情的な歌が、下水清掃人を自殺へと駆り立てたという自殺ほう助の罪。不条理にも被告人となったカンブレの裁判が始まるが、弁護士、検察官、偽証をする証人たちが法廷で攻防を繰り返し、やがてインドの複雑な社会構造が浮き彫りになっていく…。

インド発の異色の法廷ドラマ「裁き」。1987年、ムンバイ生まれのチャイタニヤ・タームハネー監督は、インド映画新世代の旗手と言われている、若手監督だ。インド映画といえば、極彩色、歌あり踊りありのマサラ・ムービーというイメージが強いが、本作はまったくテイストが異なる。サタジット・レイ監督のような格調高い文芸ものかというと、それとも少し違う。法廷劇だが、熱血の弁護士が無実の被告のために熱弁をふるったり、ハラハラ、ドキドキの真実の追求といったサスペンス要素も少ない。歌によって自殺ほう助の罪を問われるという理不尽な裁判と、被告をとりまく人々の私生活を通して、インドの法制度の矛盾と、インド社会の複雑な問題を浮き彫りにするという、オリジナリティあふれる内容なのだ。

インドでは、宗教、言語、民族、階級など、さまざまな問題が存在し、表面的には廃止されたカースト制度は、今も絶大な影響を持つ。そんな背景を考えながら見ると、本作の主要テーマが、歌手のカンブレは自殺ほう助罪に問われるのか否か、ということよりも、インド社会の、偏見や不寛容、差別といった日常的な現実を描くことこそ本筋なのだと思えてくる。できるだけ公正な裁判を目指す弁護士も、100年も前の法律を持ち出して、裁判そのものをさっさと片付けようとする検察官も、共に私生活では問題を抱えている。他民族国家で長い歴史に培われたインド社会に、現代の人権問題や法制度をぶつけるというバリバリの社会派ドラマでありながら、映画のタッチは乾いたユーモアを感じさせる独特な作風だ。各地の映画祭で高い評価を得たという若き映画作家タームハネー監督の視点の鋭さを感じさせる。カンブレが逮捕される破壊活動を防止する法律に、日本における共謀罪が重なって見える人も少なくないだろう。無論、インドと日本では環境は大きく異なるが、本作で、法制度について改めて考えてみるのもいい。
【70点】
(原題「Court」)
(インド/チャイタニヤ・タームハネー監督/ヴィーラー・サーティダル、ヴィヴェーク・ゴーンバル、ギーターンジャリ・クルカルニー、他)
(混沌度:★★★★★)


この記事は、映画ライター渡まち子氏のブログ「映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評」2017年7月12日の記事を転載させていただきました(アイキャッチ画像は公式Facebookページから)。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。