劉暁波の死を悼むことの意味⑤

2017年07月24日 06:00

劉暁波氏の死から10日間が過ぎた。中国にいなければ、この国の人々を知らなければ、私は新聞社を去る決断はしなかった。影響を受けた人物の一人が彼である。だから万感の思いがある。絶望の末に投身した屈原とも、田園に帰った陶淵明とも違う。あるがままの姿を貫いた稀有な知識人である。

彼の死に関する多くの文章に目を通したが、残念ながら、まったく心に響かない。彼の死に名を借りて、乏しい引き出しをひっくり返し、お決まりの記事を書いているに過ぎない。自分と向き合っていない文章には魂が宿らない。劉暁波氏は言葉ではなく、あるがままの姿によって信仰を語った稀有な知識人だ。信仰を抜きに、彼を理解することはできない。

いかに生きるかを問う哲学があり、いかに死ぬかを追求する道がある。悟りを開いた宗教家はいずれをも超越し、ただそこにあること、あるがままの姿を従容として受け入れる。仏教は不二(ふに)を説く。対立も差異も、敵味方もない境地だ。大きな愛、大悲をもってすれば、雑念は去り、静かな湖面に森が映し出されるように、あるがままの姿が目の前に現れる。すべては一つに融合される。「私に敵はいない」と言い残した劉暁波氏は、それを見たに違いない。

菩薩たちが不二を論じている。不二とは何か。知恵を誇る文殊は、「そんなことは言葉にできない、知りようもない」と断じる。だが、維摩は黙して語らない。「言葉にできない」ことさえも語らない。あるがままによって示すしかない。それが真の悟りなのだ。維摩の沈黙は、雷の響きほどの力を持つ。言葉は発せられた時点で意味を持つ。生まれたとたんに捕らわれの身となる。人々はその自覚もなく、千里を走る駿馬のように言葉を操ることができると信じる。手綱をしっかり握っていなければ、自分のものでなくなるのも知らずに。不二の悟りは、その自覚から生まれる。

先日、北海道大学に行った際、池で小さな蓮の花を見つけた。淡い紫だった。その日、劉暁波氏が亡くなった。私は、俗界の中に咲く一輪の花を思う。どんなに世の中が濁っていようとも、いやむしろ濁っているからこそ、人の心は澄んで、清らかになる。大衆の中に身を置き続けた彼こそ、蓮の花にふさわしい。

邪悪や醜悪が平気でまかり通る。だが彼はその中にいて、恨まず、拗ねず、媚びず、動じることがない。いかなる賞も名誉も、彼を動かすことはできない。安全な外国にいて、グラウンドに下りず外野からヤジを飛ばしていても、鑑賞用の植物でしかない。泥の中に映える蓮にはなることはない。

「どぶに落ちても根のあるやつは いつかは蓮(はちす)の花と咲く」。フーテンの寅次郎もほらを吹いた。蓮は濁っている泥の中で育ち、汚れのない清らかな花をつける。泥を吸いながらも、自らは純潔を保つ。濁りがあるから純なのだ。清濁は一つになり、不二の境地が現れる。私はあの日、そんな彼の姿を思い浮かべた。小さな池の中で、たくましい根をしっかりと張り、人知れずひっそりと、そして凛々しく、可憐な花を咲かせる。

蓮には強い生命力がある。実は数珠につながっている。中国語で「無処不在」という。いないところがない。どこにでもある、どこにでもいる。彼の魂は蓮の花となって、永遠に咲き続けるだろう。

(完)


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年7月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。

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加藤 隆則
汕頭大学新聞学院教授、元読売新聞中国総局長

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