あの日から「聖人」となった老神父

ジャック・アメル(Jacques Hamel)神父という名前をご存じだろうか。フランス北部のサンテティエンヌ・デュルブレのローマ・カトリック教会の神父だ。アメル神父(当時85歳)がイスラム過激派テロリストに殺害されて今月26日でまる1年を迎えた。

▲殉教したアメル神父の遺影の前で祈るフランシスコ法王(オーストリアのカトリック通信「カトプレス」から)

▲殉教したアメル神父の遺影の前で祈るフランシスコ法王(オーストリアのカトリック通信「カトプレス」から)

バチカン放送によると、ローマ法王フランシスコは礼拝中に殺害されたアメル神父を殉教者と称え、同神父の列福への審査を開始するように要請したという。カトリック教会では通常、亡くなって5年間は列福の審査を始めないという規約があるが、フランシスコ法王は昨年9月、それを無視して同神父の列福への審査を要請している。実際、今年4月に同神父の列福審査が正式に始まっている。

「福者」は「聖人」への前段階だ。「福者」となるためには生前、2回の奇跡の証が必要であり、それをクリアすると列福式で「福者」となる。ただし、殉教者の場合は奇跡の証言は必要ない。聖人に入るためには更に2回の奇跡の証が必要となり、それら全ての条件を満たした「福者」は「聖人」クラブに入ることになる。最近では、ポルトガルの「ファティマの予言」の証人だった2人の羊飼い(フランシスコとヤシンタ)の列聖式が5月、挙行されたばかりだ。

事件を少し振り返る。2016年7月26日、サンテティエンヌ・デュルブレのSaint-Etienne-du-Rouvray教会で朝拝が行われていた。そこに2人のイスラム過激派テロリストが侵入し、アメル神父を含む5人を人質とするテロ事件が発生した。
2人のテロリストは教会の裏口から侵入すると、礼拝中の神父をひざまずかし、アラブ語で何かを喋った後、神父の首を切り、殺害した。教会には神父、2人の修道女、そして3人の礼拝参加者(信者)がいた。1人の修道女が逃げ、警察に通報したため、テロ対策の特殊部隊が1時間半後に教会に到着し、教会から出てきたテロリストを射殺した。

看過できない事実は、2人のテロリストは神父をナイフで首を切って殺害したことだ。拳銃で射殺できたはずだ。刃物で首を切る殺害は異教徒への憎しみがある。すなわち、イスラム過激派テロリストは神父の首を切って殺すことで、異教徒への憎悪を表現したと受け取るべきだろう。テロリストは、地方の信者の少ない教会の朝拝時間が最も確実な犯行時間と考えたのかもしれない。イスラム過激テロ組織「イスラム国」(IS)はその直後、犯行声明を出している。

殺害されたアメル神父のことを考えた。
その朝、いつものように朝拝の準備をしていた。簡単な朝食を済ますと、朝拝で語る内容を考え出した。「今日は何人の信者が来るだろうか」と考えたかもしれない。ここまではいつもの朝と何も変わらなかったはずだ。
ひょっとしたら、老神父は前夜、夢を見たかもしれない。「今朝の朝拝はいつものようではないかもしれない」といった予感があったかもしれない。

地方教会の神父をしていたアメル神父は教会内でも目立たない一人の聖職者だったはずだ。少なくとも、エリート聖職者ではなかった。そうでなければ、85歳の高齢で地方教会の聖職に従事することはないからだ。神父をよく知っている信者たちは異口同音に「注目されることを嫌う、謙虚な聖職者だった」と証している。
神父は「来年は退職して、故郷に戻ろう」と考えていたかもしれない。はっきりとしていることは、自分がローマ・カトリック教会の「福者」、「聖人」のクラブ入りするとは夢にも考えていなかったことだ。

フランシスコ法王は殺害された老神父の生涯を振り返ったはずだ。目立たない一人の聖職者の殉教にフランシスコ法王は激しく心を動かされたのだろう。ところで、老神父は生前、ローマ法王と会ったことがあったのだろうか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年7月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。