【映画評】ヒトラーへの285枚の葉書

2017年08月09日 11:30

1940年6月、戦勝ムードに沸くベルリンで慎ましく暮らす労働者階級の夫婦、オットーとアンナのもとに、最愛の一人息子ハンスの戦死の報が届く。夫婦は悲しみのどん底に沈むが、ある日、オットーはペンを取り「総統は私の息子を殺した。あなたの息子も殺されるだろう」とヒトラーへの怒りのメッセージをポストカードに記し、それをそっと街中に置いた。街のあちこちにポストカードを置くささやかな活動は、二人の魂を少しずつ解放させていくが、やがて、ゲシュタポの捜査が二人に迫る…。

ペンと葉書でナチス政権に抗った平凡な夫婦の実話を描く「ヒトラーへの285枚の葉書」。原作はドイツ人作家ハンス・ファラダの小説「ベルリンに一人死す」だ。最愛の一人息子の戦死をきっかけに反ナチの運動を始めた夫婦の運動は、あまりにもささやかなものだ。だがオットーは、筆跡を変え、指紋も残らないようにするなど、かなり周到で、抗議文を書いて街に置く、地味だが危険な行為を長期に渡って続けていく。この間、夫妻が住む団地内での密告騒ぎや、夫妻を追い詰める捜査官の警部の心の揺れ、ナチス高官の理不尽な暴挙などが描かれる。やがて、思いがけない出来事から事態が急変していく。一種のサスペンスともいえる展開だが、物語の語り口はあくまでも淡々としたものだ。

監督のヴァンサン・ペレーズは、「インドシナ」や「王妃マルゴ」などに出演した俳優としても有名だ。スイス出身で、母はドイツ人。叔父がガス室で亡くなるなど過酷な体験をした親戚を多く持つという。本作は監督3作目だが、エマ・トンプソン、ブレンダン・グリーソンといった名優の渋い演技で、小市民の精一杯の正義を、静かに描き出した。ポストカードにヒトラーへの抗議文を書いて街に置くというのは、ネットやSNSを使いこなす現代から見れば、あまりに微弱だし、夫婦のそれは、志の高い抵抗運動というよりも、悲しみや不満の発露に近い。ダニエル・ブリュール演じる捜査官の最後の行動にも、少々疑問が残る。それでも、平凡な労働者階級の夫婦が、見て見ぬふりや、権力に迎合することを拒み、人間の尊厳を守ろうとする姿には心を打たれた。日本での原爆体験同様、ナチスに関わる歴史を知る人々の高齢化が進む今、一般市民の勇気ある行動を語り継ぐ意味でも、意義深い作品だ。
【65点】
(原題「JEDER STIRBT FUR SICH ALLEIN/ALONE IN BERLIN」)
(独・仏・英/ヴァンサン・ペレーズ監督/エマ・トンプソン、ブレンダン・グリーソン、ダニエル・ブリュール、他)
(勇気度:★★★★☆)


この記事は、映画ライター渡まち子氏のブログ「映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評」2017年8月8日の記事を転載させていただきました(アイキャッチ画像は公式YouTubeから)。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。

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