秘史:北朝鮮と保守政権の持ちつ持たれつの過去(特別寄稿)

2017年08月13日 18:00

今回の核危機について日本は絶対に甘いところを見せるべきでない。北が核とICBMを保有し技術開発をより進めることを認めつつ一時しのぎの平和を求めたら、日本は何をされてもいうことを聞かざるをえなくなる。

しかし、その一方で、北の政権存続や指導者たちの安全の保証などは柔軟に対処しても良いと思う。これまでの日米など各国の弱腰の報いとして我慢するしかない。

それに加えて、戦後の外交のなかで、日本の保守政権と北とが必ずしも対立ばかりしてきたわけでもないことも忘れてはならない。

55年体制のもとで、社会党を裏の窓口として、それなりに協力関係が成立していたことをもって、社会党の罪悪のようにいうことはおかしい。

そもそも、朝鮮半島が南北分断されたことに、日本にはいささかの責任もない。

ポツダム宣言受諾に伴い、日本は朝鮮の領有を諦めた。ただ、それをどうするかは連合国にまかされた問題であったし、その結果の善し悪しについて日本が責任をとる必要などまったくない。

筋の通った解決としては、日本の統治をとりあえず継続させて、数年後なり十年後に平和裡に独立させれば良かったのである。大韓帝国皇帝の復帰でも、国民投票に基づく新たな共和国の樹立でもよかった。

そうすれば南北分断もなければ、統治の混乱もなかった。

ところが、アメリカはソ連参戦を引き出すために、38度線以北の分割占領を認め、日本統治35年間、亡命生活を続け、しかも、1910年の日韓統合は無効で、1919年以降は大韓民国臨時政府という亡命政府が全朝鮮を代表する政府だったと空想的な主張をする李承晩を連れてきて政権の中心にした。

日韓併合が英米の強い支持のもとに行われたことを忘れた支離滅裂な外交だった。そして、半島全体で自由選挙をしたら間違いなく金日成に負ける李承晩をかついで、南北分断に逃げるしかなかっただけのことだ。

その結果が、戦争すれば人民の蜂起で勝てると金日成がふんでおきた朝鮮戦争であり、逆に、そのお陰で北を不当な戦争を起こした責任者扱いし、李承晩政権を半島唯一の合法政府として国連のお墨付きも勝ち得た。

そして、李承晩が日韓併合無効や、経済的に朝鮮が日本統治で損害を受けたという荒唐無稽な主張をし、ずっと独立国同士だったのごとき虚構に基づき賠償まで要求したので、国交府立交渉は暗礁に乗り上げたが、それで損害をこおむったのは韓国自身だった。

また、日本への経済難民の流出を放置し、在日同胞の帰国を拒否して棄民した。

一方、日本は、朝鮮籍の人々が日本国籍を選択することをいっさい認めなかった。本当は、日本に協力的だった親日派だけは、フランスにおけるアルジェリア人協力者(アルキ)のように日本で受け入れるべきだったのだが、それは当時のアメリカとの関係上も難しかった。

ただ、そのことで、日本が好きで日本人になりきろうとしていた人々を捨てた形になり、禍根を残している。そういう人の恨みが反日の原動力になっているところもある。

そんななかで、当時は経済が順調に進んでいた北朝鮮は在日同胞の帰還受け入れに熱心。一方、李承晩が拒否するので、在日の人たちの帰還も進まなかった。

済州島出身で大阪に住んでいた金正恩の母の一家が北に移ったのはそれがゆえだ。

その結果、在日コリアンの90%以上が半島南部出身なのに、40%が総連系といういびつなことになり、また、彼らの多くがのちに北へ「帰る」ことになった。

北への帰還事業について、朝日新聞は次のように紹介している。

1955年結成の朝鮮総連が「北朝鮮帰国運動」の推進を決議し、「地上の楽園への人道の航路」とうたって帰還を進めた。鳩山一郎元首相ら自民、社会、共産の国会議員も超党派で「帰国協力会」を結成。59年、岸信介内閣の閣議了解で赤十字国際委員会に仲介を依頼することなどを確認して、事業が動き出した。事業終了の84年までの間、在日朝鮮人ら9万人余りが北朝鮮へ渡った。官民あげての事業を、当時の新聞報道も「国交がなくても帰りたい人を帰すべきだ」などと後押しした。

(2008-06-13 朝日新聞 夕刊 1社会)

これは失敗でも何でもない。日本は在日の人々にできるだけ帰国して欲しかった。しかし、李承晩を受け入れない。そうしたところ、北は受け入れるというのだから、こんな好都合なことはなかった。その多くが左翼系の人だったからまさに厄介払いだった。

それを推進したのは、吉田茂の系列の人でなく、鳩山とか岸といった流れの人たちであり、小泉元首相の父親である小泉純也も中心的な役割を果たした。

また、在日の人たちの朝鮮語教育も将来の帰国のために不可欠だったが、それをになったのは北の系列の人たちだ。

私が昭和30年代に滋賀県の小学生だったころ、近くの公立小学校では放課後に朝鮮語クラスが設けられ朝鮮語を教えていた。

ところが、公立小学校では面倒なことだったし、トラブルも耐えなかった。そこで、朝鮮学校が各地にできて、そちらに在日の人でも北寄りの人は通うようになったことは、日本政府や自治体にとって誠に好都合だった。

また、「地上の楽園」という嘘の宣伝に惑わされたという人も多いがそれは事実でない。まず、1970年代までは北の方が南より豊かだった。

地上の楽園は言い過ぎだが、日本にいては、差別もあって生活が苦しく、高校にも行けないということから多くの人々が子どもを高校に行かせるためとかいうことで帰還したし、それが期待外れでなかったことも多かった。

北への帰還に似たのは、ラテンアメリカへの移住である。ドミニカのようにもともと誇大宣伝があったし、日本が予想以上に経済発展し、中南米は予想以下だったことで、結果論として間違った選択になったのと同じである。

朝鮮総連を通じての送金も、帰還者に対する送金そのものは当然のことだ。北へ帰って苦しい生活を強いられた家族に、高度成長の恩恵で豊かになった家族が手をさしのべるのは当たり前だ。

北当局によるピンハネも、一種の所得税とみれば当たり前だ。送られた金をそのまま全額、帰還者に渡したら、北の社会の中で超特権階級になってしまう。

いずれにせよ、北は失敗をした。それは、ひとつには、計画経済が短期的には効果を上げるが、長くつづけると歪みが大きくなる性質をもっているのに長く続けすぎたことだ。もうひとつは、現実主義に基づいた日韓国交回復で韓国が漢江の奇跡を実現したのに、その世論からの不評をみて、同様の条件での日朝国交回復に結びつけるチャンスを逃したことだ。

しかし、その間も日朝のパイプは社会党を通じてつながっていた。また、朝鮮総連にしても困ったこともいろいろやってくれたが、北朝鮮の権力構造のなかではある種の「親日派」として機能していた。

偽名を使っての要人往来も盛んで、おそらく金正恩一家もやってきているはずだ。

1990年、自社両党の議員による金丸訪朝団が訪朝する。このとき、北は金丸氏をマスゲームなどで歓迎し、外務省も社会党の田辺氏も排除して、金日成と金丸信のトップ会談で、戦後賠償(南北分断の責任を認めることになるので外務省は受け入れられない)まで約束した。

過ぎたるは及ばざるがごとしで、北はこの実現に固執し、外務省は金丸氏の党を代表しての勝手な妥協を受け入のれないことですべてが止まった。

しかも、この会談で拉致問題にふれなかったことへの反発が高まり、1992年の会談で拉致問題を持ち出したら向こうが席を蹴って暗礁に乗り上げ、1994年には金日成が死去して交渉は暗礁に乗り上げた。

その後は、森喜朗氏や野中広務氏らの現実路線で「行方不明者」として処理したらという方向で打開が探られ、さらに、小泉訪朝で北も拉致を認めたのだが、これがかえって批判を過激化させて問題解決にならなかったのは皆さん知っての通りだ。

私はもともと朝鮮総連や朝鮮学校もその歴史をひもとけば、日本政府も利用してきたのだから、敵視ばかりするのは正しくないと思う。総連ビルにしても、大使館の代わりみたいなものなのだから、それなりに配慮はしてもよい。

朝鮮学校も総連系の人々も日本で税金払っているのだから、それを補助金として学校に渡すのは合理性を欠くわけではない。拉致問題も、中韓露などに仲介を頼まずに直接向き合った方が良いというのが私の意見だった。在日のなかに総連系の人が多いのも、もしかすると、日本にとってある種の人間の盾として好ましい影響を与えている面もあった。

ただし、金正恩就任以来の核戦略はいただけないし、それを阻止するために、あらゆる圧力をかけることには賛成だ。大阪の目立ちたがり屋の裁判官の奇抜な判決とかそれを支持し履行を迫る朝日新聞の主張は、間違っている。たとえ、朝鮮学校の生徒にも補助金を出すことが望ましいとしても、それは政府や自治体の裁量を排除して自動的に与えるきものではないし、何より、世界を戦争の淵に追いやり、日本にミサイルを撃ち込まれるかもしれない状況でも淡々と支出するしかないと裁判所が命令などするべきことではない。

いずれにせよ、核の脅迫に屈してはだめだ。ただ、過去の歴史については、北が日本に悪いことばかりしてきたとか、そのもちつもたれつの関係を否定的にばかり見るのにも賛成しかねること、また、もし北が核による脅迫を止めるなら、柔軟な交渉があってほしいのでないかと思うので、あえて、日朝の一筋縄ではいかない歴史を振り返ってみたのである。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学大学院教授

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