A級戦犯は追悼せずとなぜ言わぬ

中村 仁

靖国の外交問題化を防ぐ道

戦後72回目の敗戦の日(終戦の日)、首相以下20人の閣僚は靖国神社の参拝を避けました。その一方で、国会議員数十人が参拝に参加しました。国内外からの批判の焦点は、A級戦犯を合祀している靖国神社の参拝は、戦争指導者を肯定すると受け取られる点にあります。首相や閣僚らが「自分はA級戦犯を肯定していない。靖国参拝では戦争責任の重い彼らを追悼はしなかった」と、発言しないから批判が起きると、私は思います。

A級戦犯を合祀から外す分祀が実現すれば、靖国参拝を首相がしても、外交問題にはならないでしょう。どこの国にも、戦争の犠牲なった兵士、民間人を追悼する施設があります。米国にはアーリントンに戦没者の国立墓地があります。その分祀が実現すれば、外交上の問題は基本的には解決します。

その分祀が簡単にできないのですね。「A級戦犯の遺族の多くが反対する」、「神社側もA級戦犯の合祀で存在価値を高めている」、「国粋主義的な思想、右翼的な思想の持主が猛反対する」、「彼らが保守系政治家の支持層と重なっている」、「政治が宗教法人に介入するわけにはいかない」、などなど。

合祀で存在価値を高める靖国

また、千鳥ヶ淵戦没者墓苑の拡充、無宗教の新施設の建設なども検討されてきました。評価すべき構想なのに、肝心の安倍首相らが乗り気ではなく、実現の可能性は今のところ遠のいています。政権を握る保守思想の政治家が戦前日本を復古、復活する象徴として、A級戦犯が合祀されている靖国神社の価値を重視しているからでもありましょう。

今年の戦没者追悼式で、天皇は3年連続で、「先の大戦に対する深い反省」をお言葉に盛りました。一方、安倍首相は「歴史と謙虚に向き合う。日本は戦後、戦争を憎み、平和を重んじる国としてひたすら歩んできた」と、述べました。短く抽象的な表現ながらも、天皇は戦前の侵略戦争、無謀な戦争に走ったことを詫びていると、解釈できます。

一方、安倍首相は「私たちが享受している平和と繁栄は、尊い犠牲の上に築かれている。改めて敬意と感謝の念を捧げる」と、語りました。海外に対する侵略戦争、国民に塗炭の苦しみを与えた無謀な戦争への反省、戦争責任者に対する批判もなく、「改めて敬意と感謝の念」と首相はおっしゃる。言うべきことと逆のことを言っていると、思います。

少数でもいいから正論を吐こう

ただし、「戦後、戦争を憎み、平和を重んじる国として歩んできた」と主張するのなら、靖国参拝をした保守系政治家に「東京裁判におけるA級戦犯には、追悼の気持ちを捧げていない」くらいのことを言わせるべきでした。「みんなで靖国神社を参拝する国会議員の会」の63人全員が口をそろえるのは無理にしても、複数の議員が「A級戦犯は参拝の対象外。合祀は神社と遺族の意思により、政治介入が難しい」とでも、説明すれば、印象は大きく変わったに違いありません。

筋の通った率直な言葉を口にできないのは、「日本だけが侵略戦争をしたのではない」、「反省を語ると、中国や韓国から新たな要求を突きつけられかねない」との思いがあるからでしょうか。参拝をした閣僚、政治家が「どこの国でも戦没者への追悼をしている」と語るとともに、せめて少数でも何人かが「A級戦犯は追悼しませんでした」と、語るべきなのです。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2017年8月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。