49日後の安息を得た劉暁波の魂

2017年09月01日 06:00

ノーベル平和賞受賞者、劉暁波氏が61歳で亡くなり、8月30日で49日を迎えた。中国では、七日ごとの法要を七回重ねたという意味で「七七」と言い、これで追悼行事がひと区切りついたことになる。故人は苦難の続いた現世での戦いから解放されて、安らかな眠りにつき、天から我々を見守る神になった信じられる。彼を支え続けた妻、劉霞氏の消息が途絶えており、彼女の境遇が気がかりだ。


劉暁波氏の最終陳述「わたくしには敵はいない」(2009年12月23日)を読み返した。受賞者不在で行われた2010年12月10日のノーベル平和賞受賞式でも朗読された文章だ。

恨みや憎しみは人間の知恵と良知とを腐らせ、敵対意識は民族の精神に害し、生きるか死ぬかの残酷な闘争を煽り、社会の寛容と人間性を破壊し、国家が自由と民主の道に進もうとするを妨害する。だから私は、自分が個人として遭遇したことを乗り越え、国家の発展と社会の変化に向き合い、最大の善意をもって政権の敵意に相対し、愛をもって恨みを解きたいと望む。

私は期待する。わが国が自由に表現のできる土地になり、ここで一人一人の国民の発言が等しく尊重されることを。ここで異なる価値観や思想、信仰、政治的立場…がお互いに競い合いながら平和共存することを。ここで多数の意見も少数の意見もみな平等に保障され、特に政権と異なる意見が十分に尊重され、保護されることを。ここであらゆる意見がみな陽光の下で民衆の選択にゆだねられ、すべての国民がなんの恐れもなく意見を述べ、決して異なる意見を発表したことによって政治的迫害を受けないことを。私は期待する。私が中国で綿々と絶えることのなかった文字の獄の最後の被害者となり、今後はだれも二度と言論によって処罰をされることがないことを。

表現の自由は人権の基本であり、人間性の源であり、真理の母である。言論の自由を封殺することは、人権を踏みにじり、人間性を窒息させ、真理を抑圧することである。

憲法が付与する自由な言論の権利は、まさに中国公民一人一人が果たすべき社会的責任だ。私は無罪である。たとえ罪をかぶせられても、恨みの言葉はない。

プラトンが書き残したソクラテスの弁明を思った。生涯、自ら文字に書き残すことをせず、死刑を裁く法廷で最後の弁明を行った。その才をねたむ狭隘な者たちは、ソクラテスが国家の信ずる神に背いたと誹謗し、法廷で彼が醜態をさらすのを楽しみに待った。だが、彼は全くひるまず、臆せず、恐れず、「私は、自分の無知を知っている」と言い放った。知ったかぶりをして知識をひけらかし、傲慢で厚顔無恥の者たちに比べれば、この点において優っているというのだ。

死の瞬間まで謙虚な心を保ち、真理への探究を貫いた点において、東西の偉人は接点を持ったと言える。したり顔をして饒舌になり、ひと晩たてばもう自分の言ったことも忘れて、また別の虚偽に手を染める。そんな偽物が多い世の中だ。

劉暁波氏が獄中において、どんな気持ちで人生の幕引きを待ったのか。私は「待つ」ということについて、深く考えさせられる。

テクノロジーの進歩によって、人は待つ時間を限りなく短縮してきた。交通も運輸も、そして情報、消費もすべてが高速化した。時間が金銭に換算され、欲望も無限大に膨張した。軽薄さや、虚偽がたちどころに拡散し、人間の脳をマヒさせる。無駄を省き、余裕の出た時間を、有意義に使う暇も与えられず、次への欲望へと駆り立てられる。

ビッグデータがますます巨大化する一方、人々に残る価値ある記憶は減っているのではないか。データベースから引き出される知識の断片ではなく、五感が覚えている真実のことだ。目の前を通り過ぎる事象に振り回され、自分と向き合う時間さえない。待つ時間が短縮され、同時に、人々は待つことの意味を忘れてしまった。まだまだ結論をじっくり待って、考えなければならないことが多い。劉暁波氏が待ち続けたものを、残された我々はまだ得ていない。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年8月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。

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加藤 隆則
汕頭大学新聞学院教授、元読売新聞中国総局長

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