物価のコントロールは金融政策では難しい

日銀の政井貴子審議委員は愛媛県での31日の講演で次のように述べていた(日銀のサイトにアップされた亜視察分より引用)

「わが国では、1990年代の後半から15年以上にわたり消費者物価の前年比がゼロないし僅かなマイナスが続くデフレの状態が続いてきました。わが国において、所謂デフレ・マインドがなかなか払拭されない背景の1つには、わが国の家計および企業が、デフレ期の環境に順応してきたことがあると思います。これを踏まえると、「物価は毎年2%くらい上がってくるものだ」という物価観が人々の間にしっかりと根付いていくには、このようなコミットメントを通じて日本銀行の強い決意を示すことが重要だと考えています。」

そもそも何故、1990年代の後半から、消費者物価の前年比がゼロないし僅かなマイナスが続くデフレの状態が続いてきたのか。日銀の異次元緩和の背景にあったリフレ的な発想からすれば、日銀の金融緩和が足りなかったからということになっていたが、大胆な金融緩和で消費者物価の前年比がゼロ近傍にある状況を変えることができないことを日銀は自ら証明するかたちとなってしまっている。

これはつまり消費者物価の前年比がゼロ近傍にある状況が生み出された背景をしっかりと分析し、さらにその状況は本当に日本経済にとってマイナス要因となっているのかを含めた検証をする必要があるのではなかろうか。

1990年台といえばバブルが弾けた時代であり、それに合わせて日本の雇用環境が大きく変わった。そして日本の債務残高が膨れあがっていく時代とも重なる。年功序列・終身雇用といったこれまでの体制が維持しづらくなり、それはつまり雇用環境を悪化させることになった。それは人々の将来を不安にさせることとなる。これは企業も同様であり、積極的に設備投資等を控えざるを得ない。これはつまり、資金は貯蓄から投資へではなく投資から貯蓄に向かうこととなる。

物価の低迷は金利の低迷となり、安全資産として国債に資金が流入し、大量の国債が発行されてもそれは国内で消化可能となり、金利の低下で大量の債務を抱えた政府も利払い負担が軽減されることになる。これは財政リスクを覆い隠すことにもなっている。

現在の日本における物価とそれに合わせた金利の環境は、このように日本の債務リスクを見えにくくさせるとともに、物価の安定がむしろ人々の満足度を高めるような状況ともなっている。

中国などの新興国経済の成長が日本の景気を支える格好となった際も物価への影響は限定的となっていた。一時投機的な動きから原油価格が急騰し、日本の物価も2%を超える場面もあったが一時的なものであった。その後、今度は世界的な金融経済危機が度重なって景気も低迷したものの、危機の後退により欧米の景気も回復基調となり、日本も緩やかながら回復基調となっている。

この間にあって日銀の金融政策が果たした役割はいったい何であったのか。日銀に限らず欧米の中央銀行も非伝統的手段を講じたが、これは景気物価に働きかけるというよりも、金融市場の不安感を取り除くことが大きな目的となっていた。その意味ではしっかりとその効果はあったと思われる。

しかし、金融政策であたかも簡単に物価をコントロールできるかのような発想のもとに出てきたアベノミクスとそれを受けた日銀の異次元緩和は、物価上昇そのものが目的と化してしまった。このため身動きが取れなくなりつつある。人々のデフレマインドも含め、金融政策では簡単にはコントロールができないことを前提にしての金融政策というものを考えることも必要ではなかろうかと思う。


編集部より:この記事は、久保田博幸氏のブログ「牛さん熊さんブログ」2017年9月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。