人生の醍醐味は“逆境”にある?

以前から年配の方と話をすると、よく戦時中のことを聞かされたものでした。
戦争直後の厳しい時代のことを話す人たちもたくさんいます。
しかも、なぜか昔を懐かしむような和やかな様子で…。

「もしかしたら、人間というものは苦しかった時代を懐かしく思い出すのではないか?」と、最近思うことがあります。

苦しかった時代の記憶を頭の中に留めておけば、その後の人生で苦難に陥った時「自分はあれほどの苦しみを乗り越えてきた。あれに比べれば今の苦難など大したことはない」と考えることができて、今を乗り越えようという気概が湧いてきます。

つまり、今を生き続けるための人間の生存本能の一種として、過去の苦境という経験値を頭に留めているのではないかと考えるようになりました。

会社を創業した人が会社が経営危機に陥った時、「創業当時に比べればまだマシだ。最悪の場合はまたゼロからスタートすればいい」と腹をくくることができるのと同じです。

逆に、二代目社長や三代目社長には「先代の作った会社を潰すわけにはいかない」というプレッシャーがかかってしまい、腹をくくることができない人が多いようです。一般化すれば、「苦境の経験値の積み重ねが、現在及び将来に直面する苦境を乗り切る精神的支えになる」と表現できるのかもしれません。

菜根譚に次のような趣旨のことが書かれていました。
人は逆境にある時は知らず知らず血肉を蓄えており、逆に、順風満帆にある時は知らず知らず血肉を削られている。(私の勝手な解釈です)

デール・カーネギーも、「本当に素晴らしい人生とは、逆境を跳ね返して成功を勝ち取ることだ。最初から順調な人生にはさほど意味はない」と述べています(「レモンを与えられたらレモネードをつくろう」)。

とはいえ、今現在自殺したい程の逆境立たされている人に対して、「逆境は知らず知らず血肉になるんだから踏ん張れ」と言っても、「他人事だから何とでも言えるんだ」としか考えないかもしれません。
本人の絶望感は本人にしかわからないのです。

ただ、数学的に考えれば、コイントスで裏面ばかりが出続けることはあり得ません。止めずにイジイジ続けていればいずれ表が出るはずです。

人生という舞台を降りずにコイントスを続けていれば、確実に表が出るのです。
死ぬより辛い経験も、数年後、はたまた老後になれば友人との間の「笑い話」になるものです。
嵐が吹き荒れる時は、頭を低くしてじっと嵐が過ぎゆくのを待ちましょう。

経営している会社も本人自身も自己破産してすべてを失った友人がいます。
ところが彼は、今では張り切って新しい会社をしっかり経営しています。「自己破産して、子供たちの教育のための借金がチャラになったのだけはラッキーだった。おかげで、今は子供たちも元気でやっている」と彼は笑っていました。彼は…今では私の大切な”人生の師”の一人です。

無理して踏ん張る必要はありません。流れに身を任せましょう。いずれ、浮かぶ瀬もあるはずです。

説得の戦略 交渉心理学入門 (ディスカヴァー携書)
荘司 雅彦
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2017-06-22

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年9月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。