路上に「テロ防止ボラード」が現れた

21世紀に入って国家、民族、個人を隔ててきた「壁」の時代は完全に幕を閉じ、全ては解放され、人々は自由に行き来できる時代を迎えると予想してきた人がいたとすれば、その楽観的な未来は残念ながらまだ到来していない。それどころか、欧州各地で国境監視は強化される一方、メトロポールでは道路や広場に自動車の進入を阻止する「反テロ用壁」やボラードの設置が一種のブームとなってきている。

▲連邦首相府と大統領府のあるバルハウス広場で「アンチ・テロ壁」や「ボラード」の設置が進められている(2017年9月13日、ウィ―ンで撮影)

▲連邦首相府と大統領府のあるバルハウス広場で「アンチ・テロ壁」や「ボラード」の設置が進められている(2017年9月13日、ウィ―ンで撮影)

欧州の「壁」の歴史を簡単に振り返る。
現代史で「壁」のシンボルといえば、冷戦時代の「ベルリンの壁」だろう。旧東独で1961年8月13日、ベルリン市を東西に分断する壁の建設作業が始まった時、東ドイツのウルブリヒト政権(当時)の決定に最も驚いたのは、西ベルリン市と分断された東ベルリン市民だった。

「ベルリンの壁」は1975年に完成した。総距離は155km。コンクリート製の壁だ。旧東独政権は当時、ベルリンの壁建設を「反ファシスト防壁」と説明していた。その「ベルリンの壁」は1989年11月10日、崩壊した。ちなみに、「ベルリンの壁」建設後、約5000人の東独国民が壁を越えて西側に亡命したが、200人余りの国民が射殺されている。

冷戦終了後、欧州の人々は壁のない時代を暫く享受したが、2011年のシリア内戦勃発以来、陸続きで欧州入りを目指す難民たちがトルコ経由でブルガリア入りを図ってきた。そのためブルガリア政府は2013年、対トルコ国境線沿い30kmにわたって鉄条網を建設した。旧東欧諸国の民主化直後、「民主主義には壁がない」といわれてきた時代は終わりを告げ、「壁」の時代が再来した歴史的なイベントだった。そして2015年夏以来、シリア、イラク、アフガニスタンから100万人を超える難民が欧州に殺到し、ハンガリー政府は対セルビア国境に鉄条網の壁を建設するなど、欧州域内で国境線の封鎖や壁が次々と建設されていった。

そして今、欧州の主要都市で「アンチ・テロ壁」やボラード(独語Poller)の設置がブームとなってきた。その直接の切っ掛けは、欧州各地で車両を利用したイスラム過激派テロ事件が頻繁に発生したことだ。

スペイン東部バルセロナ市で8月17日、イスラム過激派テロリストたちが白いワゴン車で市中心部の観光客で賑わうランブラス通りを暴走し、多数の犠牲者、負傷者を出したばかりだ。昨年のフランス革命記念日の日(7月14日)には、フランス南部ニースの市中心部のプロムナード・デ・ザングレの遊歩道付近でチュニジア出身の31歳のテロリストがトラックで群衆に向かって暴走し、86人が犠牲となった。ドイツの首都ベルリン市中央部にある記念教会前のクリスマス市場で昨年12月19日、1台の大型トラックがライトを消して乱入し、市場にいた人々の中に突入しながら60mから80mル走行。12人が死亡、45人が重軽傷を負う事件が発生した。ロンドンでは今年3月22日、1人の男が車を暴走させ、ウェストミンスター橋上の歩行者を轢き、ウエストミンスター宮殿敷地に入り、警官を襲うというテロ事件が起き、5人が死亡した、といった具合だ(「『車』が走る凶器となって暴走する時」2017年8月19日参考)。

そこで車両暴走テロ事件を防止し、繁華街や主要政府関係建物などに車両が侵入しないように、「アンチ・テロ壁」や「ボラード」(動力によって自動的に昇降するライジング・ボラードも含む)を設置する都市が増えてきたわけだ。繁華街やシッピング通りに足を向けた人々は路上に突然出現したボラードを不安なまなざしで見ながら、通り過ぎていく。

音楽の都ウィ―ンでは今、連邦首相府と大統領府のあるBallhaus広場を車両テロから守るために「アンチ・テロ壁」の建設が計画され、作業は既に始まっていたが、政府建物周囲を高さ80cmの壁の建設はホーフブルク宮殿周辺の景観を損なうなどの理由から反対の声が高まった。そこでケルン首相は壁建設にストップをかけ、最終的に42の固定ボラードを設置することを決定したばかりだ。ボラード設置の総工費は約48万8000ユーロと推定され、「アンチ・テロ壁」建設(約36万ユーロ)より高つくことが判明した。なお、42のボラード設置作業は来月26日の建国記念日までには完了するという。

民主主義圏と共産圏の間にあった冷戦時代の思想の壁は消滅したが、ここにきて「貧富の格差」やテロ・紛争から逃れてきた難民の殺到が原因で欧州の国境に新たに鉄条網が建設され、人々が本来、自由に行き来する都市の路上に無数のボラードが突然出現してきたのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年9月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。