学校がブラックになる理由は「それ」ではない

2017年09月18日 18:28

さいきん、いくつかの雑誌で学校のブラック化を憂慮する企画があった。「学校が壊れる」(東洋経済)「教職はブラックか」(教職課程)といったものである。しかも、教職課程は採用試験対策で学生が読むものである。採用試験受験者の行動になんらかの影響がないだろうか。学生は世の中のことを知らない。題名だけ見ると、これを読んで教職よりはるかにブラックな企業に入らないか心配である。教職課程はまだ出版されていないので未読であるが、こういった企画が人口に膾炙すれば、多少は改善されるかもしれない。

ただし、である。東洋経済の特集「学校が壊れる」の記事は教員に好意的でありがたかったが、あまり共感をしなかった。「過労死ライン」を超えているのは決して教員だけではないし、業務量が多いのも教員だけではないからだ。むしろ給与は悪くないし、仕事がなくなる心配もないし、同業他社との熾烈な価格競争もないし、50代になっても役職定年のように干される心配も、ない。

つまり、学校のブラック化は「ぜいたくな悩み」なのである。

だいたいは現場でコントロールできることなのである。

職場の状況を変える気もなければ、転職できるような職能を形成してこなかったツケなのだ。一般の企業に入れなかった不適格な人物が、選考の手ちがいで、新卒時に教職に就く。10年が経つ。ぜんぜん向いていませんでした。ほかに行くところがない。ここに残るしかない。ふつうの仕事なら10年もやれば多少不向きでも一人前になるだろう。しかし、教職は向いている人は一年目から実力を発揮するし、向かない人は50代になっても一向に進歩がないのである(これは生まれもった資質の問題ではあるが、教員の教育体制の不備もかなり大きい)。しかも居心地がいい。より長くいるだけでなぜか評価される。

これは教員自身のキャリア形成の失敗である。子供の時分から学校しか知らない。挫折を知らない。変革を知らない。

このような人たちが集まれば、それはムラ的なブラック企業になってしまうだろう。部活動などに力を入れている声が大きい人の意見がマジョリティになってしまう。学級崩壊を2年も続けて担任を外されるような学級経営能力がないのに声だけが大きい年配者がのさばってしまうのだ。そんな人間がいちいち小さなミスをあげつらって若手を委縮させ、業務を滞らせ、仕事量を増大させるのである。

東洋経済や教職課程を読んだ若い世代が、しっかりとオルタナティブな選択肢を持って、教職現場に来てくれることを祈るばかりである。それが変革の第一歩であろう。

中沢 良平(元小学校教諭)

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