留学を選ぶ中国人学生の複雑な事情

2017年09月25日 10:00

新学期が始まり、知り合いの学生からたて続けに留学の推薦状を書いてほしいと頼まれた。仲介業者が作った案文にサインをするだけのケースが多いのだが、私は一人一人とじっくりと話をし、相手のしっかりとした考えや家族の支援を確認してから、自分の言葉で書くようにしている。こうしたやり方が、学生たちには新鮮らしい。向き合ったコミュニケーションにこそ異文化交流の価値があると思うので、推薦状にかかわるやり取り自体に意味を見出している。おかげで慣れない英語のライティングもかなり上達した。

学部学生の7割以上が女子で、留学希望者も圧倒的に女子学生が多い。中国は学歴を非常に重んじるので、いわゆる一流大学でなければ就職も容易ではない。そこで少しでも箔をつけるために、海外への留学を希望する。過酷な競争社会を生き抜くためには、やむを得ない選択なのかもしれない。一人が行くと、他の学生も感化される。焦燥心理の連鎖も働いている。だが、だれもが行けるわけではない。

夏休み期間、彼女たちは両親と話し合いをし、将来の選択について了解を得たという。多額の学費がかかるので、大富豪でもない限り、そう簡単には工面できない。多くは自分で商売をしている家庭だ。自分が受けられなかった教育を、娘には受けさせてあげたいとの親心がある。学生たちもその親心に感謝し、期待に応えられるよう、勉学に専心する決意が感じられる。

ある学生は、父親が四川省から広東省に出稼ぎに来て、さんざん苦労をした挙句、ようやく小さな会社をたちあげた。以前は考えもしなかった留学だが、親の仕事が軌道に乗り、家計に少し余裕が出だという。父親も学校にあいさつに来たが、乗っていたのは新車のレクサスだった。

父親は香港返還前、大陸から香港に逃げたと打ち明けた女子学生もいた。かつては、貧しさゆえ、海路や陸路で国境を越え、英国領の香港に逃げる「逃港」が頻発した。捕らえられれば収容所行きだ。逃避行には生命の危険もあった。そんな父親が香港でゼロから働き、改革開放後、少しばかりの元手をもって返ってきた。欧米は手が届かないが、香港への留学であればなんとかなる、と親が認めてくれたという。

彼女たちはいわゆる1990年代生まれの「90後」だが、中国社会の歴史と変化を、それぞれの学生が背負っている。そこに日本人の教師が留学の推薦状を書いている図もまた、世の中の大きな変化を反映している。だからこそ、一通一通を丁寧に書かなければならないと思う。

昨日は、半年のニュージーランド留学を終え、大学に戻った女子学生からお茶に誘われた。得難い体験を話したいと興奮していた。国内にいて、大学のブランドやテストの点数にこだわり、日々クラスメートと競争をしているような環境に育った。人と比較することでしか、自分の存在価値を見出せなかったが、国外に出て、多様な考えや生き方があることを知った。自分らしさがいかに大切かを知った。

信仰に興味を持ち、キリスト教会にも通った。多くのイスラム教徒とも交流したが、メディアで報じられているような、テロリストとは全く違い、平和を愛する人々であることを知った。直接、自分の目で見て、耳で聞き、触れなければわからないことだった。まだ具体的な進路はわからないが、金銭や名声にとらわれることなく、自分にしかできない生き方をしたいと考えている、という。

国や社会による制約はあっても、それぞれが必死の思いで自分を探そうと煩悶している。教師でさえ、自分を完全に把握することは難しい。おそらく自我、自己の追求は人間にとって永遠のテーマなのだろう。無我の境地などは、はるか先の話だ。だが、一緒に求める仲間のいることが、大学のよさである。


昨日(24日)、汕頭大学の入学式が行われた。今日から、本格的な授業が始まる。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年9月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。

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加藤 隆則
汕頭大学新聞学院教授、元読売新聞中国総局長

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