リスクに盲目な日本のトレランブーム(前編) --- 昆 正和

2017年09月29日 06:00

昨今はトレラン(トレイルランニング)ブームである。山の尾根や稜線上の登山道や林道を走りぬけ、タイムを競うことを目的としたスポーツの一種だ。登山だけでは飽き足らない者、ジョギングやランニングの延長として参入した者など、さまざまな人がカラフルでスポーティなウェアやギヤを身に付けてトレランを楽しむようになってきた。

日本能率協会総合研究所が2014年に発表した実態調査によると、トレイルランニング参加人口は 20 万人余りで、今後は70 万人が潜在的な参加人口として見込まれているという。しかし、何十年も登山をやってきた私としては、このブーム、どうにも腑に落ちないことだらけだ。

何よりも、とても「危険」なのである。トレイルランナー自身のことはさておき、問題は一般登山者やハイカーとランナーがぶつかり、前者が転倒・滑落してしまったら、そのランナーは責任をとれるのかということだ。「ケガをさせるつもりはなかった。滑落して亡くなるとは思わなかった。ごめんなさい」といった言い訳など通用するものではない。

トレイルランナーは身軽だ。ぶつかってもすぐに草木にしがみついて難を逃れるだろう。しかし登山者はザックを背負っている。ひとたびバランスを崩せばザックの重みが遠心力となり、弾みがついて瞬く間に谷底へ転げ落ちてしまう可能性が高いのだ。

先日の日曜日、私は高尾山の北山稜のコース(生藤山や醍醐丸、和田峠、陣馬山へと連なるコース)を歩いてきたが、片側が崖、もしくは両側が切れ落ちている1本道で、登山者の危険も顧みずにがんがん駆け抜けるランナーたちを何人も見かけた。彼らの無神経さはもはやマナー違反といったレベルのものではない。クルマ社会に例えるなら、危険運転致死傷罪に問われてもおかしくないくらい危険な行為だと私は考えている。

そもそも登山者やハイカーがトレラン走者とすれ違うこと自体、非常に苛立つストレスフルなことなのだ。登山者同士がすれ違い、道を譲る感覚とはまるで違う。これは日常に置き換えて想像してみればわかる。街中の歩道をいきなり後ろから疾走してきて肩や肘をかすめて駆け抜けていく者がいたら、「危ないじゃないか!走るなよ!」と怒鳴りたくなるだろう。街角を曲がろうとした時、とつぜん目の前に突進してくる者が現れたら、あなたはとっさに避けることもできず足がすくんでしまうだろう。

街中ですらこのようにストレスのかかる不快な行為だ。ましてや、木の根や岩が突き出た、見通しの悪い、道の片側や両側が谷底になっているような登山道なら、いかに危険で人に迷惑をかける行為か分かろうというものだ。

トレラン愛好家の中には、「トレランは海外でも広く認められたスポーツだ。何がいけないというのだ?」と反論する人もいるだろう。経験者なら分かると思うが、欧米のトレッキングコースはゆったりしていて、コースを歩く登山者やハイカーの人口密度も日本ほど高くないのである。逆にアメリカ・テネシー州のブレントウッド市の公園のように、危険が予想されるコースは「ハイキングはOKだがトレイルランニングは禁止」と毅然とした態度を表明する自治体もある。

一方、日本はどうか。トレランの雑誌やポータルサイトを見れば、安易に人気のある一般登山道やハイキングコースをなぞったルートのオンパレードだ。最近はトレラン大会用のコースを認めるか否かを巡って見直しをする自治体も少しはあるようだが、日常のトレーニング用コースとなるとほとんど野放し状態だ。トレラン愛好家がどの山に入りどのように走るのも個人の自由になっていると言っても過言ではない。

日本の山は地震や台風が多いため、尾根がやせていて崩壊個所も無数にある。ほとんどの登山道は一人分の幅しかない。すれ違うのがやっとという個所も少なくない。ゆっくり歩かなければ危険なコースだらけなのである。そんなコースに、土日ともなるとトレラン系の雑誌やポータルサイトを見た多くのランナーが、われもわれもと大挙して押しかけることになるわけだ。(後編に続く


昆 正和(こんまさかず) BCP/BCM策定支援アドバイザー
東京都立大学(現首都大学東京)経済学部卒。9・11テロでBCPという危機管理手法が機能した事例に興味を持ち、以来BCPや事業継続マネジメントに関する調査・研究、策定指導・講演を行っている。

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