稀少すぎて値もつかない本

2017年10月10日 11:30

稀覯書というのは、歴史的価値の高い本で、かつ現存の部数が極端に少なく、滅多に古書店に現れもしない本のことである。もちろん、ごく稀に市場に出ることがあれば、著しく高い値段で取引されることになるはずだが、さて、本当にそうなるのか。

文化勲章を受章している経済学者の根岸隆東京大学名誉教授の本に、『経済学のタイム・トンネル』(1984年 日本評論社)というのがある。経済学史の大家の著書ではあるが、学術書ではなくて、経済学の古典的書物を24冊選んで解説を加えた楽しい読み物である。

この本自体は稀覯書ではない。そうではなくて、そこに紹介されている本の一つが「古本屋のリストにでることも滅多になく、品がないから値段もつかないというたいへんな稀覯本」なのである。それは川口弘の『ケインズ経済学研究』(1953年 中大出版社)という本である。

根岸先生は、「わが国におけるケインズ経済学研究の本格的な研究書としては最初のもののひとつであるが、単にすぐれた解釈を樹立したよい解説書であるだけでなく、問題提起という観点からみて最良のもののひとつである」とし、「少なくとも潜在意識的に非常に大きな影響をうけたような気がする」と述懐されている。

そのような優れた本だから、幻の稀覯本としておくことは、あまりにも惜しいわけで、実際、根岸先生の著書における言及の後、1999年に日本経済評論社が新版を出している。稀覯書になるということは、当然に、この本に対する経済学研究者の強い需要があるということだから、出版事業の立場からいえば、新版を出しても売れる目途がたつということであろう。

新版が出れば、元版の古書価のほうは下がりそうな気がするが、そこが不明なのである。なにしろ、根岸先生もいわれるとおり、「品がないから値段もつかない」本なのである。要は、本がなければ、取引がなされず、取引がなければ、値段もなく、値段がなければ、値段の変化もわからないということである。

実は、私は、この極めて稀有な『ケインズ経済学研究』を所有している。稀覯書として高値で買ったのではなくて、ある古書店の雑書を放り込んである箱のなかから、ごく安い値段で掬い上げたのである。愛書家として、歓喜に打ち震え、心躍った一瞬であった。

雑書の山から拾い上げることができたのは、この本について知っていたからであって、大多数というか、ほぼ全ての人からすれば、単なる汚らしい紙の束だったはずである。根岸先生は、「品がないから値段もつかない」といっているだけで、普通に読めば、「値段もつかない」の意味を、著しく高価である、と解釈するのだが、それは、一つの先入見からする思い込みで、「値段もつかない」ということの現実は、ただ同然、ということでもあり得るのである。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
HC公式ウェブサイト:fromHC
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