鍛冶屋の明晩、紺屋のあさって --- 天野 信夫

「鍛冶屋の明晩、紺屋のあさって」ということわざをご存知でしょうか。約束の期日が来ても注文の品が出来上がらない、一日延ばし二日延ばしの言い訳をして約束を破っても平気でいることを言います。
自民党の財政再建も物価上昇率2%も拉致問題解決もそうですが、かつての民主党マニフェストがその典型です。

無駄遣いを省けばできる、俺たちならこうする、と豪語して政権をとりましたが、結局、「子ども手当」も「高速道路無料化」も財源が見つかりませんでした。度重なる制度変更により、無駄な事務経費がずいぶんとかかったことでしょう。

「コンクリートから人へ」を掲げ、八ッ場ダムの建設を中断しました。結局、再開になりました。ストップしていたコンクリートをまたもう一度立ち上げるわけですから、かなりの余計なお金を遣うことになりました。

普天間基地の移設場所は「最低でも県外」と鳩山首相が言いました。結局、できませんでした。元の辺野古へ戻そうと必死でした。無駄遣いとは違うかもしれませんが、沖縄県の理解と協力を得るための援助や補助金もかなりなものとなりました。

それでも私たちはあの時「風」を見て民主党を選択したのです。仕方ありません。その時の風向き次第で、政権党を代え総理大臣もコロコロ代えて、そのこと自体が究極の無駄遣いとなりました。無駄遣いをしたのは民主党ではありません。私たちです。期待に応えられなかった民主党にもその責任はありますが、責任の大半は選択した私たちにあります。無駄を省けと言った民主党を選んで、私たちはずいぶんと無駄遣いをしてしまいました。皮肉な結果となりました。もう一度言いますが、その責任は私たちにありました。

希望の党の公約を見て、8年前のあの時の「風」を思い出しました。究極の無駄遣いの究極の責任。今回の「風」もそうならないとは限りません。