中国の政治を理解するための視点④

2017年10月08日 06:00

自分たちの尺度で異なる文化を理解しようとしても誤解しか生まない。現在、日本メディアで広く行われている習近平政権への批評は、もっぱら「独裁強化」の文脈に偏っているように見受けられるが、それでは中国政治の現状が正しくは理解できない。前回触れたように、中国共産党の危機は、最高指導部の権力分散によって生じたと考えられており、その危機を救う唯一の方策として、総書記への権力集中が着実に進められている。権力集中は目的ではなく、手段として始まったことに留意すべきだ。

習近平が権力欲のために政敵を排除して独裁化を進め、あからさまに毛沢東と並ぶ権威を確立しようとしている---。しばしば目にするこうした見方は、皮相に流れており、政権の本質をとらえていない。時代背景や国際環境の違いを無視した、ステレオタイプに過ぎない。解りやすい、受け入れやすい言葉で大衆に迎合しているだけで、時代に対する責任感を欠いている。

中国の政治史では、独裁者による横暴の一方、権力が分散し、政治闘争が激化した末、大衆を巻き込んだ大惨事もしばしば経験してきた。分権=善、独裁=悪の短絡的なイメージだけでは、長い歴史と深い情念が刻まれたこの国の政治は見えてこない。良いか悪いかを論じても意味はない。習近平本人に聞けば、「ではほかにどうしろと言うのか」と答えるに違いない。

多くの中国人も強い指導者を望んでいる。好き放題に権力を振るい、公費で傍若無人な遊興にふけっていた役人たちが、習近平に進める反腐敗キャンペーンによってたちどころに姿を消した。それを歓迎しない庶民はいないのだ。教育や医療、あらゆる行政サービスに袖の下が横行し、拝金主義はとどまることを知らなかった。社会主義の理想とはかけ離れた貧富の格差が存在し、共産党は存廃の崖っぷちに立たされた。

権力の分散が不作為を招き、なすすべもないまま、党の腐敗は坂道を転がるように進んでいった。そこに紅二代政権が登場したのである。

反腐敗キャンペーンにおいて、周永康・元党常務委員や、軍制服組のトップである徐才厚、郭伯雄の二人の元中央軍事委副主席を摘発したことは、歴代の指導者がなし得なかった荒療治だ。習近平の突破力は、片腕の王岐山党中央規律検査委書記ら紅二代の強いバックアップがなければできなかったし、それによって彼への支持はさらに高まった。習近平の権威を高めるうえで、極めて重要な里程標となった。この実績を過不足なく踏まえなければ、政権への正当な評価はできない。

しばしば、江沢民率いる「上海グループ」や胡錦濤の「共青団(中国共産主義青年団)」などの派閥争いがメディアをにぎわすが、習近平による最高位クラスの幹部摘発が、そうした派閥争いにとどめを刺したと言っても過言ではない。周永康、徐才厚、郭伯雄、いずれも江沢民が登用した大物である。このほか、失脚した令計劃・元党中央弁公庁 主任は胡錦濤の秘書役だ。

国民による選挙が行われる国と、人脈によって選抜されていく独裁国家とを厳格に峻別しなければならない。選挙によってえらばれた政治家の責任は、最終的にはその人物を選んだ有権者が負う。だから、失政があれば次回選挙で淘汰されることもあるし、逆に、不祥事があっても、再選による「みそぎ」が存在する。一方、選挙のない選抜システムにおいて、ある政治家の責任はそれを選び、後ろ盾となった者が負わなければならない。これが権力闘争を生む根源である。

中国の指導者は、国民の参加する選挙によって選ばれたのではなく、しかるべき人物の推挙によって選抜された。そんなことはだれでも知っている。習近平が江沢民や胡錦濤が抜擢した人物を摘発し、その悪行を赤裸々に暴露することは、とりもなおさず、選抜者の責任を問うことにつながる。拙著『習近平暗殺計画 スクープはなぜ潰されたか』(文藝春秋)に詳述したので省略するが、周永康や令計劃らに対する見せしめ的な犯罪告発は、党内部で詳細にかつ執拗に行われた。国家機密漏洩といった、

指導者としては恥ずべき罪状も指弾された。江沢民と胡錦濤の地位は地に落ちたと言ってもよい。自分の首がつながっているだけでありがたいと思っているはずだ。腹心を切り捨て、自分と家族の延命を選んだ以上、もはや政治家としての生命は絶えている。

だから、いまだに「××派」などと論じている報道があったら、まったくのナンセンスだ。そもそも、官僚はその時々の権力者になびくのであって、それは中国も同じである。任侠の世界では仁義で人が動くが、政治の世界では損得の利益が人間関係を支配する。共青団は党幹部の養成機関であって、もともと派閥をなすほどの結束は持っていない。いわゆる上海グループも、江沢民の影響力が後退すれば、雲散霧消するたぐいのものだ。見てきたような派閥抗争を描く記事は荒唐無稽である。

習近平はもはや過去の権力者の顔色を窺うことなく人事を決められる。気にかけるとすれば、紅二代の総意だけだろう。個人崇拝の道に入り込めば、習近平自身が反対勢力を生むことになる。紅二代はみな、毛沢東への個人崇拝によって政治的迫害を受けた記憶を共有している。もちろん、習近平自身も同じである。

(続)


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年10月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!
加藤 隆則
汕頭大学新聞学院教授、元読売新聞中国総局長

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑