中国の政治を理解するための視点⑧

2017年10月17日 11:30

インターネットによるメディア業界の急速な変化に、習近平政権一期目の過剰なイデオロギー統制が重なり、メディア人を養成する中国の各新聞学院(ジャーナリズム学部)も時代の要請に応じた教育方針の転換が求められている。本大学では3年生から「ジャーナリズム」「映像」「広告」と3分野に専攻が分かれるのだが、今年初めて、2年生の専攻志望調査で、「広告」がずっとトップだった「ジャーナリズム」を上回った。学部にとっては大ニュースである。

もちろん就職を考えてのことだ。報道関係の仕事は、採用が減っているうえ、自由度がますます狭まり、新聞学院でも敬遠される業界になり始めている。報道を志す中国の若者には、厳しい試練が待ち構えている。

大学3、4年生の多くは夏休みの数か月間、大学の単位として課せられている企業インターンシップを修了してきた。報道機関を選んだ学生は決まってある感想を持ち帰ってくる。党大会を控えた政治的に敏感な時期だ。学生たちが提案した興味深い取材テーマが「今はふさわしくない」と禁じられる一方、党大会のスローガンに沿った取材が課題として与えられた。

「どうしてこんなにも取材の自由が制限されるのだ」

教科書に書いてある報道の理想と現実のギャップにぶつかり途方に暮れる。メディア業界出身の教師から聞かされてはいたが、実際に経験してみると記者になる夢は遠ざかってしまう。だが忘れてはならないのは、こんな中にあっても、どうしても記者をやりたいという若者がいることだ。特に女性に多い。あくまでも社会の真実を伝え、正義の実現に少しでも寄与したいという理想を捨てずにいる。数の上では減っているが、私は、数の問題ではなく、その精神に人間の光明を感じている。

事なかれ主義に染まる日本のメディアにはもはや失われた精神だ。日本では、中国の独裁政権によるメディア規制ばかりが報じられ、新聞の読者もテレビの視聴者もみなが、「その通りだ」と安心する状況が定着した。ステレオタイプに安住すれば、ものを考えずに済むので楽なのだ。私が長く席を置いた新聞社では、「中国のことは悪く書いていれば問題ない」と、自己保身でしかものを考えられない編集幹部までいた。出世のことで頭がいっぱいで、真実を追求する気概など、とうの昔に捨て去っている。

理想と現実のギャップは一党独裁国家だけのものではない。民主国家を標榜する日本のメディアもまた、忖度文化に侵され、報道の自己規制が過去にないほど蔓延している。あれを書くな、こう書け、これには触れるな…。編集の現場では、時には口頭で、時には「空気」によって、こんなやり取りが交わされている。うそや偽りも、繰り返されているうちに、人はそれを正常だ、真実だと思い込むようになる。戦時中に行われたのと同様、一種の洗脳である。

権力による明確な規制に対しては、抵抗の精神が生まれる余地がある。もちろんリスクは高く、非常に勇気のいる行為だ。だが、自己規制は精神の奴隷化であり、自由への希求は放棄されている。自らの怠惰な、惰性による意志に基づくものだけに始末が悪い。「民主国家」のメディアが、「独裁国家」の言論統制をステレオタイプに批判するだけでは、説得力を持たない。戦時中のプロパガンダが、いわゆる民主国家の中で巧妙に練り上げられてきた歴史を振り返れば、事態の深刻さに気付くはずだ。

中国と歩調を合わせるように、日本も安倍首相による衆院解散によって政治の季節を迎えた。権力の濫用とも言える大義なき解散、安倍自民党の一人勝ちを警戒し大義なき離合集散に走る在野勢力。そこには国家の理念や思想はなく、票集めの選挙戦術しかない。国会での論争も、理念や思想はなく、もっぱらテクニックや詐術がまかり通っている。世論形成に不可欠な議論がないのだ。

毎回、繰り返されるコップの中の争いを、大衆迎合に向かうメディアは追従することしかできない。イワシの群れのように、見せかけの事象を追いかけているだけだ。国民はますます政治への関心を失い、投票率は低迷の一方だ。こうした悪循環の行き着く先が、かつて歩んできた道であることに、みなはどれほどの警戒心を持っているだろうか。

中国メディアが日本のいわゆる右傾化、軍国主義化を警戒する声は絶えない。誇張や誤解、政治的なプロパガンダが含まれていて、反論するのもバカバカしい荒唐無稽な論もある。中国の庶民でさえもっと等身大の日本を感じている。だが、完全に無視できるだろうか。日本で起きている政治の混迷について筋の通った説明ができない以上、誤解や憶測を生む原因を自ら招いていることは間違いない。

自分たちのことを棚に上げて、隣国の悪口ばかりにはけ口を求めていると、誤った世界観を持つことになる。私は、現在の日本にみられるこの状況が、国を誤った方向に導くことを危惧する。人間も同じである。自分の弱点を知らない者は非常にもろい。夜郎自大に陥る大新聞社の人間には、特にこの傾向が強い。まず自分たちの足元を見直さなければならない。

北京大学の学長を務めたこ胡適(1891-1962)は、評論『イプセン主義』の中でこう言っている。

「人生の大病根は、社会の真実の現状を、目を見開いて直視しようとしないことにある・・・病気を完治するためには、まず病気があることを認めなくてはならない。政治をよくするためには、まず今の政治がまったくダメだということを認めなくてはならない。社会を改良するためには、まず今の社会がまともな社会ではないということを認めなくてはならない」

(続)


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年10月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。

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加藤 隆則
汕頭大学新聞学院教授、元読売新聞中国総局長

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