オーラってあるのか ⁉︎

週末に出身高校の関東地区の同窓会があり、幸いにも出席することができました。
雨風にかかわらず多くの同窓生が集まり、母校の絆の強さを改めて認識することができました。

二次会で、同級生数人が集まって話をしていた時、某君が次のようなことを言いました。

昔、たくさんの人達が集まる会で受付を頼まれた。集まる人の中にかの王貞治氏が含まれていて、とりわけ気を使うように指示された。たくさんの人達が次々とやってくる中でどうやって王貞治氏を見つければいいか思案にくれていたが、全く杞憂に終わった。王貞治氏はオーラのようなものを発していて、遠くから見てもすぐにわかった。

そこから「オーラ談義」で盛り上がりました。
あれこれ勝手な意見が噴出しましたが、まとめると概ね次のような結論に達しました。
今から振り返って、過去、短期間の人気で終わってしまったアイドルや芸能人たちは近くにいても一般人とあまり変わらなかった(つまりオーラを感じなかった)。

もっとも、若い人の中にも強いオーラを感じる人はいるので年齢だけが問題なのではない。
かの吉永小百合さんからは神々しくて近づきがたいようなオーラを感じた。

酔った上での勝手な雑談なので、どこまで信憑性があるかわかりません。ただ、私なりに整理すると、一つの道を極めるくらい努力というか修練を積んだ人には独特の雰囲気があり、それを私たちはオーラと呼ぶのでしょう。

そして、それは年齢には関係なく、その人の努力や修練に左右されるのではないかと。
私の経験でも、法廷で対峙する相手方弁護士の先生の中には、やたらと存在感のある方がおられました。
その方よりも年上であっても、全く存在感を感じない先生がたくさんいました。「存在感=オーラ」とすれば、間違いなくその先生はオーラを放っていました。

大組織のトップに立った人の中には、全くオーラを感じない人もいれば、接したすべての人々がオーラを感じるような人がいます。
大企業の創業者や強いリーダーシップで企業を成長させた人たちが、後者であるように思えます。

以前、「人生は長さではなく密度だ」と書いたことがあります。

人生は”長さ”よりも”質”だ

おそらく、オーラを身につけることができるか否かは、年齢ではなくその人の歩んできた密度ではないでしょうか?

中には「自分は、持っている」と公言する人もいますが、自称はあまりアテになりません。
「この人からオーラを感じた」という方がいらっしゃったら、是非ともお教えいただければ幸いです。


編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年10月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。