立憲民主主義とは選挙の結果がすべてという思想だ

2017年10月25日 10:00

立憲民主党という党ができて、立憲主義が話題になっているが、彼らは日本近代政治における立憲主義の意味を知らないらしい。

明治憲法でも、立法権や予算承認は自由選挙で選ばれた衆議院での可決が必要だったが、首相は天皇、実質的には重臣たちが決めていた。

これは突拍子もない考え方でなく、ヨーロッパの君主国ではどこでもそうである。現在でもその形式は残されていて、イギリスで第一党の党首が首相になるのは、慣例に過ぎないし、共和制の国では大統領が指名する。そして、小党分裂のときには、国王や大統領にかなりの判断の自由が生じるし、実務家内閣という政治家を排除した内閣もここ数年のあいだだけでも、イタリアやギリシャで存在した。

したがって、明治憲法の仕組みが非常識に非民主的とはいえないのだが、政党は総選挙で第一党となった政党の代表者を首相にすべきだと要求し、これを立憲主義であり、それを要求することが護憲だとした。

桂太郎(Wikipedia)

そういう考えに基づいて、大正2年(1913年)に成立した桂内閣(第三次)、大正13年(1924年)の清浦内閣に対して、それぞれ、第一次、第二次の護憲運動が繰り広げられ、それぞれ、大隈重信内閣、加藤高明内閣が成立した。

そういう意味で、立憲民主主義とは、選挙で誰が過半数を占めたか、それが実現しておなければ、どこが第一党かを尊重するということなのである。

一般的な人気、声の大きい人の意見、アンケートなどによる調査、得票率などといった意見集約方法の結果でなく、唯一、国会の議席の数、とくに過半数を制しているかどうかをもって国民の意思とすることこそ、立憲民主主義なのだ。

日本のマスメディアは、選挙の前から、自公が過半数をとっても議席数が減ったら首相は変われとか、選挙では勝ったかもしれないが、内閣支持率は賛否拮抗している、得票数では半分に達していない、棄権も含めて考えれば有権者の半分をはるかに下回る割合しか与党を支持していないから、内閣が信任されたとはいえず、公約を実施に移すべきでないと言いたい放題だ。

しかし、立憲民主主義とは、そう言う屁理屈をいっさい排して、総選挙の結果をもって国民の意思とし、第一党の党首を首相とし、しばらくは、代えず、公約は実行に移すべきだということなのであり、マスコミや一部野党の変な雑音を排除することこそ護憲であろう。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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