“宮部みゆき世代”と“石原慎太郎世代”の作家の類似点 --- 中井 正則

2017年10月29日 06:00

昭和30年代半ば生まれの物書きと昭和ヒトケタ後半の物書きは似ていないだろうか?

私は囲碁が趣味で、時々ネットでプロ棋士などの棋譜解説を見たりする。最近面白いと思ったのがコンピューターと人間の対戦で、私が見たのは、「Google Deep Mind チャレンジマッチ AlphaGo対イ・セドル」の対局。見ていると、時々AlphaGoという名前のコンピューターが「人間だったらまずこんな手は打たないだろう」という不思議な手を打ったりするのがなかなか興味深い。コンピューターと人間では考え方が違うので、こうしたことがあるのだろう。

人間同士の戦いでも、同じような棋風の者同士の戦いだと、どうも地味な感じの碁になったり、戦いに次ぐ戦いの碁で見ていて疲れてしまうような碁になったりしがちで、棋風が違う人が戦う対局の方が見ていて面白い。私が今までで面白いと思ったのは、昔の趙治勲対武宮正樹の棋譜等である。

囲碁とか将棋などは二人、最近はコンピューターも対局するので二者と言うべきかもしれないが、とにかく、二つの違う個体が対戦し、その戦いの様子が棋譜という形で記録され、それを鑑賞することができる。

これと比較するのが適当なのかどうかわからないが、小説・エッセイなどの文章は一人で書くのが原則だ。だから「囲碁みたいに考え方が違う同士が対戦すると面白い」という現象は起きないような気もするが、例えば、昭和30年代半ばの人が書いたものを読んでいくと、どうも考え方が違う者同士が戦っているような感じがして面白い。

どんな人がいるかと言うと、例えば昭和35年(1960年)生まれだと、小説家には、今「作家生活30年」ということで本屋にたくさん本が置いてある宮部みゆきをはじめとして、石田衣良・小野不由美・綾辻行人・乃南アサ・新井素子・天童荒太といった人々がいる。こうしてみると、新人賞を獲ってからトントン拍子で人気作家になったという人が多い。

小説家以外の昭和35年生まれについて見ていくと、学者で一般向きのよく売れる本を書くタイプの斎藤孝とか、脚本家の三谷幸喜・野沢尚、文芸評論家の福田和也、サイエンスライターの竹内薫、コラムニスト中森明夫、元外交官の佐藤優、それに3人の精神科医師コラムニスト、和田秀樹・香山リカ・岡田尊司など多士済々である。特に3人の精神科医コラムニストがいるというところが、昭和35年生まれの特徴のような気がする。

昭和35年生まれの前後でも、例えば小説家だけに限っても、東野圭吾(昭和33年生まれ)、山田詠美(昭和34年生まれ)、島田雅彦・真保裕一(昭和36年生まれ)、真山仁(昭和37年生まれ)という具合に、流行作家・有名作家がそろっている。

昭和35年前後に生まれた人々は、学生時代などの若い頃、「お前は新人類だ」とか「お前はギリギリ旧人類だな」とか言われていた世代で、ちょうど新人類的な考え方と旧人類的な考え方の両方をある程度身につけている人が多く、それが売れ行きのいい面白い本が書ける原因になっているのではないだろうか。新人類・旧人類という言葉の意味も曖昧と言えばあいまいなのだが、それでも他の世代に比べればわりあい図式的で他人にわかりやすい個人の頭脳の中における異なる感性・考え方の存在という現象があるように思える。

作家を分類する場合、デビューした時期を元に第一次戦後派・第二次戦後派とか第3の新人等の言葉があるが、生まれた時期で分類する言葉というのはあまり聞いたことがない。でもこの場合は、「新旧人類派」という言葉があってもいいような気がする。

なんとなくそれと似ていそうなのが、昭和ヒトケタの半ば以降、昭和5~9年(1930〜34年)生まれの作家群である。

この時期に生まれた人は、推理小説作家の西村京太郎・内田康夫・山村美沙、直木賞作家の渡辺淳一・五木寛之・井上ひさし・野坂昭如・藤本義一、後に政治家になるがその前は日本一原稿料が高い作家と言われていた石原慎太郎、知識人の苦悩を描く芸風の高橋和己、3村と呼ばれた西村寿行・森村誠一・半村良、SF作家の筒井康隆・小松左京、昭和の3大ポルノ小説のうちの2人宇能鴻一郎・富島健夫、女流の有吉佐和子・曽野綾子、シナリオライターの山田太一・倉本聰、学者で一般向きに売れる本を書くタイプの小室直樹など多士済々でとにかく売れている人が多いという印象がある。

以前の作家の長者番付が発表されていた時代に何回もベスト10に入っていた大ヒットメーカーが、西村京太郎・内田康夫・渡辺淳一・五木寛之・西村寿行と5人もいるし、有吉佐和子・山村美沙・井上ひさし・森村誠一・宇能鴻一郎・小松左京もベスト10に入ったことがある。

この時期に生まれた人は、新制で言えば中学校とか小学校の時期に戦争が終わり、先生に言われて、軍国主義的な内容の教科書を墨で塗りつぶしたという経験を持っている場合が多く、戦前の軍国主義教育と戦後の民主主義教育の両方をリアルタイムで経験している。新人類・旧人類よりもさらにわかりやすい軍国主義・戦後民主主義という形で、異なった感性・考え方が頭の中に入っている。それと、わかりやすいよく売れる小説等が書けるということは、やはり関係があるのではないか。

「教科書塗りつぶし派」という言葉もあっていいと思う。

第1次戦後派・第2次戦後派・第3の新人のようなデビューした時期で作家を分類するのももちろんこれはこれで意味があるが、「新旧人類派」とか「教科書塗りつぶし派」のような、生まれた時期で分類する方法もありだと思う。また、小説家だけでなく、脚本家やエッセイスト、学者で一般向けの本を書くのが得意な人などにも目を配る文学史があると便利だとも思う。

 

中井 正則 フリーライター
予備校講師・高校教諭・書店経営者等を経て、現在はフリーライター。

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