パレスチナ人医者の「現代の福音」

懐かしい名前を見つけた。パレスチナ人医者、イゼルディン・アブエライシュ氏(62)が現在、日本訪問中で、27日に東京・内幸町の日本プレスセンターで記者会見した、という記事を見つけた。当方は2014年5月、ヨルダンの首都アンマンで開催された国際会議の場で同氏をインタビューした。同氏は穏やかな紳士といった雰囲気はするが、同氏が語ってくれた話はそんなものではなかった。3人の娘さんと姪をイスラエル軍のガザ攻撃中に、砲弾を受けて亡くしていた。しかし、同氏の口からは“イスラエル軍憎し”といった言葉は飛び出してこなかった。当方は同氏とインタビューしながら「憎しみの恐ろしさを説き、人間同士、民族同士の和解を求める同氏と話していると、伝道師、宣教師と会見しているような錯覚すら覚えた」という印象記を書いたほどだ。

▲インタビューに答えるアブエライシュ氏(2014年5月10日、アンマンの会議場で撮影)

▲インタビューに答えるアブエライシュ氏(2014年5月10日、アンマンの会議場で撮影)

以下は、同氏との2度の会見記事のコラム、「憎しみは自ら滅ぼす病だ」(2014年5月14日)と「『憎まない生き方』は現代の福音」(2014年5月20日)の内容をまとめた。
アブエライシュ氏は日本語でも出版されている著書『それでも、私は憎まない』の中で証しを記述している、パレスチナ人難民キャンプで成長し、エジプトのカイロ大学医学部を卒業後、ロンドン大学、ハーバード大学で産婦人科を習得。その後、パレスチナ人の医者として初めてイスラエルの病院で勤務した体験を有する。
アブエライシュ氏の運命を変えたのは2009年1月16日、イスラエル軍のガザ攻撃中、砲弾を受け、3人の娘さんと姪を失った時だ。亡くなった娘さんの姿を目撃した時、「直視できなかった」と述懐している。負傷した4番目の娘さんを救うために必死に支援を求める同氏の声は彼の友人のジャーナリストを通じて全世界に流れた。

その後、パレスチナ人の友人から「お前はイスラエル人を憎むだろう」といわれたが、「自分は憎むことが出来ない。イスラエルにも多くの友人がいる。誰を憎めばいいのか。イスラエルの医者たちは私の娘を救うためにあらゆる治療をしてくれた。憎しみは憎む側をも破壊するがん細胞のようなものだ」と答えてきた。その一方、亡くなった3人の娘さんの願いを継いで、学業に励む中東女生たちを支援する奨学金基金「Daughters for life Foundatoin 」を創設し、多くの学生たちを応援してきた。

会見で興味深かった点は、同氏の本がイスラエルでも出版されていることだ。同氏は「ヘブライ語訳で昨年出版された。イスラエル国民の間でも憎悪の心理学研究用専門書だと評価する声が聞こえる一方、『人生観が変わった』といった読書後の感想を発信する人もいる。本は特定の民族や国家を対象に書いたものではない。普遍的な価値観、人生観という観点からまとめたものだ」と説明してくれた。そして「私の本のメイン・メッセージは、私たちの人生は私たちの手にあるということだ。自身の人生に責任をもち、他者を批判したり、憎むべきではないということだ。憎悪は大きな病気だ。それは破壊的な病であり、憎む者の心を破壊し、燃えつくす」という。

当方は、「あなたの本は韓国、日本でも出版されている。日韓両国は『歴史の正しい認識』で対立し、両民族はいがみ合っている。あなたは両国にどのような助言ができるか」と聞いた。

同氏は、「私はソウルを訪問し、歓迎を受けた。ソウルは東京と同じ大都会だ。両国の政府関係者はまず、国民のことを優先に考えるべきだ。韓国の国民は過去の苦い体験を克服し、日本に負けない国を建設してきた。韓国は過去の囚人となるべきではない。過去の問題は優先課題とはなり得ない。過去は過去だ。過去の過ちを繰り返すことなく、未来のために生きていくべきだ。日本国民も過去の植民地政策が間違いであったことを理解している。韓国は隣人であり、互いに助け合うべきだと理解している。韓国が病に罹れば、日本も病になる。同じように、日本が苦しめば、韓国もその影響を受ける。両国は少なくとも相互尊重すべきだ」と答えた。

同氏は現在、中東女学生への奨学金制度を創設し、学ぶ中東女性への支援を行っている。その動機について、「長女は『私は家族の中でもパパに最も似ているわ。だから自分も医者になる』と言っていた。次女は弁護士になるといっていた。教会の鐘やアザーン(イスラムで礼拝を呼び掛ける声)を聞く度に娘たちの声が聞こえてくる。自分が他の人を憎んだりすれば、娘たちに申し訳ないという思いが湧いてくる。亡くなった娘が自分を導いてくれていると確信している。その娘たちの願いを大切にしたいので、奨学金制度を創った。中東の将来は女性にかかっている。そのため、中東女性の教育が非常に重要だ。生き延びた娘は当時、片方の目を失うなど、厳しい状況だったが、治療のおかげで助かった。彼女はその後、必死に勉強し、コンピューター電子技師の学士を習得した。人生には不可能なことはないのだ。教育は公平な世界を建設する手段であり、平和をもたらすと信じている。私は女性を信頼している。そのために、社会は女性に教育の機会を与え、その能力を発揮できるように鼓舞しなければならない」と説明した。

アンマンで会って3年半の月日が流れたが、アブエライシュ氏は憎悪の恐ろしさを世界で語り続けている。残念ながら、現実の世界は憎悪で満ちている。個人から家族、民族、国家の間で憎悪が広がっている。今ほど同氏のメッセージが必要とされている時はない。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年11月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。