運を開く

日本の宗教家であり参院議員も務められた常岡一郎(1899年-1989年)さんは「運命発展の3つの法」として、①「仕事に全力をしぼる」、②「明るく感心のけいこをする」、③「いやなことでも、心のにごりをすてて喜んで勇みきって引き受ける」、ということを述べておられるようです。

此の運と言いますと直近私も、「運命は変えられる」(アエラドット、2017年10月8日)や『自分の運気を知るためにやる毎朝3回の「ソリティア」』(経済界電子版、2017年9月29日)と題し御話したテーマですが、安岡正篤先生の言を用いれば「心中常に喜神を含むこと」も意外と大事ではないかと認識してきています。安岡先生は、人生を生きる上で大事な3つのことに、「心中常に喜神を含むこと」「心中絶えず感謝の念を含むこと」「常に陰徳を志すこと」として、喜神(…喜ぶ心)を持つことを第一に説かれています。

そして曰く、『われわれの心の働きにはいろいろあって、その最も奥深い本質的な心、これは神に通ずるが故に「神」と申すのであります。人間は如何なる境地にあっても、心の奥底に喜びの心を持たなければならぬ。これを展開しますと、感謝、或は報恩という気持ちになるのでありましょう。心に喜神を含むと、余裕が生まれ、発想が明るくなります。また、学ぶ姿勢ができます』とされています。

ネガティブに物事を捉えてばかりいるのでなく、ポジティブに生きるための方策を何らか持たなければなりません。私は之が、ある意味運を良くすることに繋がると思っています。そして他の2点、「心中絶えず感謝の念を含むこと」及び「常に陰徳を志すこと」を考えるに当たっては過去のブログ、『感謝の出発点~「有り難い」という気持ち~』(2013年11月29日)や『報いを求める心からの脱却』(2013年3月14日)も有用であると思います。御興味のある方は是非読んでみて下さい。

それからもう一つ、「善因善果(ぜんいんぜんか)・悪因悪果(あくいんあっか)」という仏語がありますが、之は良いことをやれば良い結果が生まれ悪いことをやれば悪い結果が生まれるという意味です。但し、良い結果を期待してやるのではなく、上記した陰徳(…陰の徳、誰見ざる聞かざるの中で世に良いと思うことに対して一生懸命に取り組むということ)までとは行かなくとも、当たり前の行為として善行を積み重ねるのです。

尤も、善因善果を期待した行いであっても、陰徳を積むことになっていなくても、「俺は之だけのことをしたんだ!」と言って回る人の行いであったとしても、全ての善き行いはやらないよりは遥かに良いと言えましょう。結果として陰徳を積んだかどうかは別にして、世のため人のためになる何かを大いに為すべきだと私は思っています。

七仏通戒の偈(しちぶつつうかいのげ…過去七仏が共通して受持したといわれる、釈迦の戒めの偈)の内2句「諸悪莫作(しょあくまくさ)・衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)」にあるように、仏教において善行を施すことが非常に大事にされています。諸々の悪を為さず諸々の善を行って自らの心を綺麗にしておくことが、幸運を招く上で大事だと思います。

BLOG:北尾吉孝日記
Twitter:北尾吉孝 (@yoshitaka_kitao)
facebook:北尾吉孝(SBIホールディングス)