プレシジョン医療導入の壁

2017年11月02日 11:30

一昨日に続き、昨夜も近辺で路上強盗があった。しかも、午後8時から10時30分の間に4件もだ。犯行グループは二つのようだが、二件は私の通勤路のすぐそばで起こった。シカゴに来て6年目だが、年間5件程度であったものが、2日間で6件も起こったので、なんとなく憂鬱な気持ちだ。来週には夏時間が終わり、午後5時前には日没を迎え、帰宅時間には街灯だけが頼りになる。しかも、ニューヨークでの昨日のテロを受けて、領事館から注意喚起のメールが複数送られてきたので、余計に気が重くなる。人の集まる場所で周辺に注意せよと言うが、現実問題としてはとても不可能なことだ。空港、スーパーマーケット、レストランにも安心して行けなくなってしまうし、落ち着いて食事もできない。日本も、いつ北朝鮮からミサイルが飛んでくるやも知れないが、米国でテロや強盗にあう確率は、はるかに高くなってきている。

そして、昨日のことになるが、マイアミ大学のジョンソン教授が「プレシジョン医療を導入するための課題」について講演をした。メインテーマは、がんで認められるような後天的な遺伝子異常ではなく、薬剤の作用に関連する遺伝的な多型を臨床現場で利用するにあっての課題だ。二つの薬剤代謝酵素を例に話をしたが、遺伝子多型診断のための報酬は、250ドルと450ドルに設定されているとのことだ。米国では保険会社が還付を認めないと新しい診断法は広がらないので、保険で認められるかどうかが一つの壁だ。

医療経済学的な観点では、汎用されている薬剤で、副作用や低効果が遺伝子の違いによって大きく影響されている場合、遺伝子診断を取り入れた方が、全体の医療費は節約されるとの見解が示されている。薬剤が無効であれば病気が進行したり、治療のための期間が長くなり、医療費が膨らむし、もし、副作用を起こして、それを治療するために、別の治療薬を投与するなどの無駄が省かれるのだから当然だ。

そして、診断する時間が1週間かかるのが、二つ目の壁だ。確かに、血栓予防に使われる抗凝固薬の副作用である、脳出血や消化管出血など、服用開始後1-2週間で起こることが多いので、1週間もかかっていては厳しいものがある。また、抗生物質などは速やかな投与が必要で、1週間も待てるはずもない。

かつて、理化学研究所で1時間以内で遺伝子診断できる機器を開発したが、提携していた企業が全く機能せず、中途半端に終わってしまったのが残念だ。特定の医療機関でしか診断できないのではなく、いつでもどこでも誰でも簡便に診断するための装置だったし、現状を聞く限り、まだ、有用性は高いと思うのだが、それを示す前に企業が力尽きてしまった。公的機関や大企業ではなく、それに命を賭けるような覚悟で臨むベンチャーが必要だったのではと後悔している。

更なる大きな壁は、医療従事者の間に、このような遺伝子診断の必要性がほとんど認識されていないことだ。副作用、特に命に関わったり、大きな後遺症を残すものは、当然ながら、患者さんや家族にとっては大きな不幸だ。しかし、薬剤を処方した医師にとっても心のしこりが残ることになる。最近では、それが、医療訴訟につながることもある。もう少し早い歩みで、個々の遺伝子の違いを医療現場に取り入れる時代になってもと思うが、現実は難しいようだ。

オバマ前大統領が2015年に「プレシジョン医療イニシアティブ」を始めると宣言した際に、

Doctors have always recognized that every patient is unique, and doctors have always tried to tailor their treatments as best they can to individuals. You can match a blood transfusion to a blood type — that was an important discovery. What if matching a cancer cure to our genetic code was just as easy, just as standard? What if figuring out the right dose of medicine was as simple as taking our temperature?

とコメントしている。

医師は個々の患者さんの違いを認識してきたし、それぞれの患者さんに最適の治療を提供しようとし続けてきた(かなり過大評価しているように思うが;中村の感想)。輸血する時には、血液型を調べる必要があることは、偉大な発見だった。どうして、がんを治癒するために、遺伝子情報を簡単に利用することができないのか?どうして、最適の薬剤量を見つけることが、体温を測るように単純にできないのか?

その通りだ。やればできるはずだが、そのためには医療従事者の発想や社会の仕組みを大きく変えなければならない。そして、そのための司令塔が必要だ。


編集部より:この記事は、シカゴ大学医学部内科教授・外科教授、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴ便り」2017年11月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。

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中村 祐輔
シカゴ大学医学部 内科教授、外科教授

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