習近平の上海視察と「分裂」の危機

習近平総書記が10月31日、新たな常務委員全メンバーを引き連れ、1921年に中国共産党第1回党大会が開かれた上海の記念館と、同会が官憲に察知され、場所を変えて続行された浙江省嘉興の記念船「南湖紅船」を訪れた。共産党発祥地への温故知新だ。最高指導部7人がいっせいに北京を離れるのは異例のことである。軍や警察の権力を掌握し、リスク管理に自信を持ったこともあるが、あえて出かけたのには、相当の深いわけがあるとみなければならない。

こういう時にはたいてい、江沢民元総書記が率いる上海グループを牽制し、習近平が上海市トップに抜擢したばかりの李強・同市党委書記を支援するのが目的だ、と見てきたかのような解説が登場する。が、ろくな取材もせずに架空の権力闘争を妄想し、パズルをつぎはぎするように文章を書いているに過ぎない。もはや個人の名を冠した派閥争いは存在していない。昨今の腐敗摘発や人事の手法をみれば明らかだ。

中国メディアは、習近平を先頭に7人がそろって拳をあげ、入党の誓いをする新華社配信の写真を流した。記事は、結党の初心に帰ろうとの習近平のメッセージを伝えるが、表面的な見方に過ぎない。この程度の政治宣伝で、トップ7人が北京を空けるとはだれも考えていない。

大の大人が声を合わせ、新入生のようにお決まりの文句を唱える姿は、見ようによっては滑稽である。心にやましいところがある党幹部は、忘れかけていた宣誓の言葉をあわてて暗唱し始めただろう。政治に縁遠い多くの若者は、「どうしてこんなことをするのか」と首をかしげ、苦笑したに違いない。

だが、習近平にとっては党の存続にかかわる死活問題だ。最初の地方視察として、政権1期目は改革開放がスタートした広東省、2期目は共産党が産声を上げた上海を選んだ。後者を象徴するのは第一回党大会に出席した毛沢東、前者は改革・開放政策の総設計師とされる鄧小平。この二つの聖地を結び付けることは、党内分裂を避けるため、譲ることのできないロジックなのだ。

習近平は総書記就任直後、党中央委員を集めた会議で次のように語っている。

「(改革開放の前後)二つの歴史時期において、社会主義建設の思想指導や方針、対策、実際の施策に大きな違いがあるのは確かだが、両者は分断されたものではなく、まして根本的に対立しているわけではない。改革開放後の歴史時期によってその前の歴史時期を否定し、また、改革開放前の歴史時期によってその後の歴史時期を否定することはできない」(2013年1月5日新華社通信)

改革開放の前後それぞれ30年を分ける立場は、格差や腐敗といった現代の社会矛盾への認識と処方箋においてはっきり表れる。問題の原因を改革・開放政策そのものに求めて批判し、計画経済を支持する保守思想は左派、鄧小平が主張した市場主義による改革の徹底を主張し、西側の民主主義に近い立場を取るのが右派と大別される。

特に毛沢東への評価において、左派は毛沢東が掲げた社会主義の理想を礼賛し、右派は、法を無視し政治闘争に明け暮れた独裁者の側面を批判する。歴史的には、急進的な社会主義化を目指すのが左派、漸進的な立場が右派と色分けされてきた。毛沢東が知識人を打倒した1950代末の反右派闘争や大躍進、文化大革命、1989年の天安門事件など、過去の政治的混乱も、権力闘争の側面に加え、左右の路線対立が背景にある。

習近平が、党史の一貫性、連続性にこだわる理由は、こうした党内分裂の再演を恐れるからだ。彼が語った「してはいけない二つの否定」は、単なる歴史評価ではなく、現実の「重要な政治問題」とされ、学習キャンペーンが展開されている。学術機関では御用学者たちが、改革開放の淵源は毛沢東時代の工業振興政策にあるとの研究を量産している。厳しいメディア統制で、左右対立の言論は消え失せた。とばっちりを受ける庶民はたまったものではないが、習近平は命懸けだ。

分裂が現実に迫ったのが薄熙来事件だった。薄熙来は重慶市党委書記時代、政治的野心から、大衆運動方式の「打黒(暴力団排除)」運動や、復古的な「紅歌(革命歌)」を広める「唱紅」運動を展開した。左派から「毛主席の再来」と絶賛されたが、当時の温家宝首相は「文化大革命の誤りが完全にはぬぐえていない」と攻撃し、政権内部で路線対立が表面化した。

結局、薄熙来は、腹心の王立軍・同市公安局長(当時)が米国総領事館に逃げ込んだ事件をきっかけに失脚したが、薄熙来の背景では、周永康や令計劃らが習近平政権の転覆を図るクーデターまで計画していた。先日、第19回党大会に提出された党中央規律検査委の報告は、失脚したばかりの孫政才・前重慶市党委書記を含め、薄熙来や周永康らを「野心家」「陰謀家」と厳しく批判した。

習近平は2002年10月、浙江省に党委副書記として就任以来、南湖紅船に注目し、記念館の建設に着手すると同時に、「紅船精神を広めよう」との政治キャンペーンを展開してきた。総書記としての再訪はさぞ感慨深いに違いない。

習近平は浙江時代から、現在の演説を思わせる原稿を発表し始めている。当時、すでに紅二代の代表として、将来の政権を担う覚悟ができていたと思われる。要するに10年間、周到に練ってきた政権構想を今、ひとつずつ着実に実行しているのである。

※写真は新華社通信より引用


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年11月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。