黄色い線の「内」と「外」に表れた日中の差異

2017年11月07日 06:00

アニメ映画『君の名は。』(新海誠監督)のヒットで、何人かの学生から作品中の和歌について聞かれた。中国の若者に静かな万葉集ブームが生まれているのか。

「誰(た)そ彼(かれ)と われをな問ひそ 九月(ながつき)の 露に濡れつつ君待つ我そ」

万葉集に収められた作者不詳の一首だ。名前を明かすことは、その言葉に宿る魂をも渡すことになる。そんな素朴な感情が歌われている。名に霊魂を感じるのは中国の伝統でもあるので、理解されやすい。

アニメでは、国語教師が教室の黒板を使い、「誰そ彼と」から「たぞがれ(黄昏)」が生まれたことを教えるシーンがある。その語源もロマンがあっていい、との感想があった。「たそがれ」と中国語読みの「黄昏(コウコン)」はどんな言葉のニュアンスがあるのか、などとかなり突っ込んだ質問もあって驚かされる。

新海誠監督の作品では『言の葉の庭』にも、万葉集の恋歌が登場する。柿本人麻呂の掛け合いだ。

「なるかみ(鳴神、雷神)の 少し響(とよ)みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ」

「なるかみの 少し響みて 降らずとも 我は留らむ 妹(いも)し留めば」

雷が鳴り、雲が陰ってきた。雨が降って恋する人の足を止めてほしいという女心に、雨が降らなくても、君が望むのであれば残ります、と正直に答える。中国の古詩は、主として男性を中心とする文人=官僚が担い手だったので、国家や人生の一大事、友情などを歌ったものが多い。男女の恋歌が圧倒的に多い日本の和歌は新鮮に映るのだ。

ひょんなことから、私も新海誠作品そのものを観なくてはならなくなった。和歌とは関係なく、意外なことに気付いた。駅ホームのシーンが何度が出てくるのだが、いずれもアナウンスの中国語字幕が「黄色い線の外側」(『君の名は。』)、「黄色い線の後ろ側」(『言の葉の庭』)と訳されていた。作中の日本語セリフではいずれも「黄色い線までお下がりください」である。通常は、「黄色い線の内側まで」と放送されることが多い。

(『君の名は。』から)

 

(『言の葉の庭』から)

「内と外」、「内と後」では正反対だ。もちろん、どこから見るかという視点の問題だが、単なる地点ではなく、思考方法が反映されているのではないか、と考えた。学生たちに意見を求めたが、ほとんどは地点の差異にとどまった。いい線まで行ったのは、「外」は列車からなので「危険」に関心が向いている、「内」は乗客の立ち位置を参考にしている、というものだった。「地点」から、問題の「見方」に一歩近づいた。

列車が入って来たときのアナウンスは、危険を避けることが目的だ。客観的に存在する列車の危険を見据え、そこから離れようとするのが「外」「後」である。一方、「内」は、列車と立っている乗客との関係を重んじ、人の立場に立って方向を示唆する。客観的な「危険」と、流動的な「関係」。どこに重きを置くかによって、言葉の使い方が異なる。

もう一つ例がある。

「好きじゃない?(不喜歓?)」との質問に対し、中国語は英語と同様、「嫌い」ならば「不(No)」と答えるが、日本語では、相手の聞き方に応じて答えるので、「嫌い」は「はい(Yes)」となる。「いいえ」は「好き」を意味する。中国は「好き嫌い」の事実に対して答えるが、日本は相手の言葉に即して答える。黄色い線をめぐる表現もまた、同じ差異の論理が当てはまるのではないか。ちなみに英語では、「Please stay behind the yellow line.」となるそうだ。

日本の忖度社会や複雑な敬語表現も、こうした関係重視の文化から生まれる。良い悪いの問題ではないが、文化の差異を乗り越え、相互理解を深めるうえで、関係重視の文化はどのような効用があるのか。少し考えてみたいと思った。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年11月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。

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加藤 隆則
汕頭大学新聞学院教授、元読売新聞中国総局長

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