サンフランシスコ日系移民排斥が太平洋戦争の原因だ

2017年11月29日 06:00

サンフランシスコ市議会が、怪しげな団体から日韓の合意の精神を踏みにじるような碑文付きの「従軍慰安婦像」の寄付を受けることに対して、大阪市の吉村洋文市長が「サンフランシスコとの姉妹都市関係について解消する」として抗議しているのは正しいことだ。

しかし、なかなか大阪市の言い分をサンフランシスコというところで理解してもらうのは難しいことだ。

慎重にことを運ばねばならない理由は、冷泉彰彦氏が『サンフランシスコ「従軍慰安婦像」への大阪市対応は慎重に』というコラムに書かれているのがよくまとまっている。とくに、以下の指摘は重要だ。

現在のアメリカでは「あらゆる性的嫌がらせと暴力」は時効を適用せず厳しく批判するという動きが続いています。ハリウッドから、政界に至るまで連日スキャンダルの摘発がニュースになっているのです。これは、性的な問題における人権意識が不十分であった点をこの機会に改善しようという流れであり、あまりにもタイミングが悪過ぎます。

そのような中で、「性奴隷」という文言を削除させるのは大変に難しいと言わざるを得ません。「人身売買の被害者」で「報酬が借金と相殺される」売春婦という存在は、現在のアメリカでは間違いなく「性奴隷」というカテゴリに入るからです。まして「強制連行ではなかった」が「事実としては人身売買だった」ということを声高に叫んでも、「悪いことには変わりはない」として一蹴されるだけでなく、イメージダウンは避けられないでしょう。

しかし、そうだからといって黙っておれば、どんどん悪だくみはエスカレートするのも間違いない。

そういうときは、攻勢防御に限るだろう。こういうときに、われわれは、サンフランシスコが日系移民への差別発祥の地であり、それが、太平洋戦争の重要な原因のひとつだったことを思い出し指摘すべきである。

以下は、拙著『日本人の知らない日米関係の正体 本当は七勝三敗の日米交渉史』(SB新書)の関係部分を要約したものなので、是非、読んで理論武装して欲しい。


「日露戦争で日本が勝って調子に乗りすぎたのでアメリカが警戒し始めた」というようなことがよくいわれますが、単純すぎます。

それもひとつの要因ですが、大正になって、中国での辛亥革命とアジア諸民族の覚醒、第一次世界大戦、アメリカの国力充実と日本移民排斥、日本での政党内閣の確立と薩長閥の衰退などいろんな動きが複合的に影響し合って、日米蜜月というわけにはいかなくなったというのが正しいと思います。

まず、日本の国民感情がアメリカから離れたきっかけになったのは、日本人排斥問題でした。
その前史とも言えるのが、中国人排斥でした。アメリカは幕末のころ、大陸横断鉄道を建設していましたが、それを支えたのは中国人労働者でした。しかし、勤勉である一方で劣悪な生活条件を受け入れる中国人労働者は、白人労働者から強い反発を受けました。

そして、1882年に第21代チェスター・A・アーサー大統領(在職1881〜85年)が中国人排斥法に署名し、中国人の移住が禁止されたのです。

日本人移民は独立国だったハワイでは明治初年から盛んでした。そのハワイがアメリカに併合され移ってきたのと、中国人が排斥されたことで、カリフォルニアなどで日本人が増えました。日本人は中国人ほどではありませんが、やはり、白人労働者から目の敵にされました。

排斥への具体的な動きは、日露戦争直後の1906年に、サンフランシスコ市が日本人学童を公立学校から追い出し、中国人などのための東洋人学校に移したことでした。この措置をセオドア・ルーズベルト大統領は怒り、翌年に撤回させましたが、そのかわりハワイ経由での米本土移民は禁止されました。

日本としては、こうした制限はプライドを傷つけられるものでありましたが、朝鮮や台湾、満州などへの進出に伴う移住もあり、実害はそれほどなかったので、1908年に林董外務大臣とオブライエン駐日大使との間で「日米紳士協定」が締結され、日本側が移住を自主規制することになりました。

しかし、1913年カリフォルニア州では外国人土地法が成立して、日本人を狙い撃ちに土地所有が禁止され、さらに、会社やアメリカ生まれで米国籍をもつ二世を抜け道にしての保有も規制されていきました。

“排日移民法案”(1924年移民法案)にサインするクーリッジ大統領(Wikipedia:編集部)

そして、さらに、1924年には日本で「排日移民法」といわれる法律ができ、南欧やユダヤ人も含む東欧からの移民が制限されるとともに、日本からの移民が全面的に禁止されてしまったのです。政府の反対を押し切っての議会の暴走でした。

このように、日本人移民の制限は、地方自治体や議会の外交的配慮を欠いた暴走によるものでしたが、日米関係ではこうしたことはよくあることです。

また、その過程で、国務長官ヒューズと駐米大使埴原正直が相談して議会に提出した、「両国関係に対し重大なる結果を誘致」という言葉が議会から恫喝(覆面の威嚇)であるというプロパガンダを引き起こすという事件もありました。

こうした移民の制限が、日本人の対米感情を急速に悪化させたことは間違いなく、「カリフォルニア移民拒否は日本国民を憤慨させるに充分なものである(中略)かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がつた時にこれを抑へることは容易な業ではなかった」(『昭和天皇独白録』より発言を現代語訳)とのちに昭和天皇が語るほどのインパクトがあったのです。

つまり、日本にとって実害はあまりなかったのですが、対米感情を非常に悪化させ、政治家やジャーナリズムが親米であることを難しくした一連の事件でした。

また、こうしたアメリカの移民制限やオーストラリアの白豪主義は、日本人や中国人が満州のような限られたフロンティアに殺到し、それが日中戦争のひとつの遠因となったという指摘も可能だと思います。

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八幡和郎
祥伝社
2016-07-13
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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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