追突事故にあって感じた「自分は大丈夫」の危険性

こんにちは!肥後庵の黒坂です。

先日11月28日の夜、私は車を運転していて追突されました。前の車の右折を待って停車していたところに後ろから突っ込んで来られて玉突き事故となりました。この結果、半年前に買った新車はぐしゃぐしゃに壊れ、おそらく修理不可能な状態になってしまいました。完全停車をしていた私の責任は0:100で落ち度はなく、事故にあった立場ですがホッとしました。相手は若い女性で、助手席にスマホがあったのを見た私は(あっ、スマホいじりながら運転していたな…!?)と感じました。

すぐに近くの駐車場に移動して、警察を呼びます。免許証や車検証の番号を控えられたり、状況説明をしたりで一時間半ほどその場に滞在してようやく遅い夕食にありつけました。今回の追突事故にあったことで感じたことを残しておきたいと思います。

写真は事故後の筆者の車

運転中のスマホは絶対にダメ

何があろうとも、どれだけ重要なメッセージや着信があろうとも運転中のスマホは100%「なし」です。

警視庁の発表した交通事故発生要因を見てください。スマホ使用中などで発生した事故は右肩上がりになっています。

画像引用元:政府広報オンライン

また、これはまだハッキリ分かっていないことですが相手の女性はブレーキを踏むことなく、私に追突したと考えられます(ブレーキ痕がない)。ハンドル操作の誤りなどであれば、ぶつかるにしても減速しているわけで、スマホ使用での追突だとノーブレーキでの追突になりえます。スピードも出るわけですから、極めて危険です。

運転中のスマホは何があっても断じてNo。そこにどんな理由があっても使用が容認されることはありえません。

「自分は大丈夫」という勘違いで事故は起こる

日本人は防災オンチといわれます。災害が起こった時にのんきに動画を撮影して被害にあったり、今回の事故のように運転中のスマホ操作をしてしまうのも「自分は事故や災害の被害にはあわない」という勘違いによるものです。心理学の世界では正常性バイアスと言われています。

必要以上に災害や事故に怯える必要はありませんが、「いつ、何時、どんな事故を起こす(遭う)かは分からない」と気持ちをニュートラルに持っておくことが正しい運転手の心の持ち方ではないでしょうか。運転をしていれば事故を起こしてしまう可能性は0ではないわけですから、可能な限り事故の可能性を高めてしまう要素、今回の件で言えばスマホを使用しないなどの行動につなげることができます。

実は私は半年前に車を新車で買う時、安全性を考慮して軽自動車ではなく普通自動車を選びました。「万が一事故にあっても軽自動車と普通自動車では被害を受ける度合いが違うだろう」と思ったのもあり、選んだのですが結果的にそれが功を奏したようです。正常性バイアスに囚われないように思考、行動することは重要だと改めて感じました。

起こってしまった後は「これから」を考える

追突した女性は気が動転していました。気の毒に、全身が震えてパニックになり、その場で泣き崩れてしまいました。何度も何度も謝られ、「どんな保障でもしますから」とお詫びをされました。

正直なところ、私はせっかくの新車がグシャグシャになってとても悲しかったです。この車には短い期間とはいえ、時間を作って阿蘇山へ出かけたり、きれいな星空や夕焼けを眺めに行ったりたくさんの思い出が詰まっています。修理できるものなら修理をして、またこの相棒と一緒に思い出を作っていきたいと思います。

しかし、起こってしまったことをどんなに嘆いても時計の針を戻すことは出来ません。彼女には「必要な手続きは保険会社がやってくれるので、今日のことは早く忘れてゆっくり眠って休んでください」と伝えました。私の気持ちはすでに次に向かっていました。仕事へ行くための足はどうするか?保障の手続きをどう受けるのか?念のため病院の診断を受けたほうがいいのか?様々な「これから」が脳裏を交錯しています。彼女への怒りはまったくありませんし、必要な手続きを最短最速で済ませて早く元の生活に戻りたいと願うのみです。

本当にいい意味でも、悪い意味でも人生は何が起こるのか分かりません。昨日のことも考え方によっては良かったことかもしれません。ノーブレーキでの追突で外傷は何もないこと。相手は保険に加入しており、必要な保障がなされること。何より、奥さんや子供が車に乗っていなかったこと。そして様々な教訓を得られたことです。これらの状況が違っていたならば、私は取り戻すことができない損失を被っていたかもしれません。そう考えると大事がなかったのは幸運といえるかもしれません。

今回の件に気落ちせず、また新しい一日を精一杯楽しみたいと思います。