【映画評】鋼の錬金術師

渡 まち子

©2017 荒川弘/SQUARE ENIX (C)2017 映画「鋼の錬金術師」製作委員会

幼い頃から天才的な錬金術の才能をみせる兄・エドワード(エド)は、弟・アルフォンス(アル)と共に、亡き母を生き返らせようと、人体錬成という錬金術最大のタブーを行う。しかし錬金術は失敗し、その代償としてエドは左脚を、アルは体全体を喪失してしまう。瀕死のエドは、とっさに自らの右腕と引き替えにアルの魂を錬成し、近くにあった鎧に定着させた。数年後、エドは失った右腕と左脚に鋼鉄の義肢、オートメイル(機械鎧)を装着し、国家錬金術師となる。アルの失った体を取り戻す手がかり“賢者の石”を探す旅を続けるエドは、人々から“鋼の錬金術師”と呼ばれていた。一方、固い絆で結ばれるエドとアルを、謎のホムンクルス(人造人間)たちが狙っていた…。

天才錬金術師が弟の体を取り戻そうと奮闘するファンタジー・アクション「鋼の錬金術師」。原作は、荒川弘の大ヒットコミックで、通称ハガレンと呼ばれている、世界的ベストセラーだ。錬金術とは、物質の構成や形状を変化させ、新たなものに作り替えること。魔法のように思えるが、厳正な科学に基づいている。一番の特徴は、等価交換というルールだ。何かを得ようとすれば同等の代価が必要というもので、作品全体を貫いているこの等価交換という概念が、ハガレンに、単なるヒーローものやアクションものとは一線を画す深みをもたらしている。

人気コミックの実写化は、映画界の大きな潮流で日本映画もまたその流れに乗っている。しかし、ファンの目は厳しく、かなりハードルは高い。特にこのハガレンは、登場人物の名前や舞台は欧米風(イタリア・ロケ敢行)なのに、日本人俳優と日本語のせりふという作りなので、どうしても違和感を覚えてしまう。しかし、これを否定してしまっては、本作は成り立たないので、ここは慣れるしかない。VFXを駆使したアクションシーンはなかなかの出来栄えで、さすがは日本でも指折りのCGの使い手の曽利文彦監督だ。特に冒頭のド派手なシークエンスは興奮必至だが、個人的には、真理の扉にまつわる、静かな“スペクタクルシーン”のスピリチュアルな美しさを評価したい。もっとも、兄弟の絆、仲間との友情、それぞれが抱える葛藤や心の闇、さらには人間の定義など、描く内容が多すぎて、せりふが説明調に傾いたのは残念なところだ。原作は壮大な広がりを持つストーリーで、映画で描かれたのはその一部。どうやらエドとアルの旅はまだ続くようだ。
【60点】
(原題「鋼の錬金術師」)
(日本/曽利文彦監督/山田涼介、本田翼、ディーン・フジオカ、他)
(スペクタクル度:★★★★☆)


この記事は、映画ライター渡まち子氏のブログ「映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評」2017年12月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。