AfD党大会の代表選で急進派が勝利

9月24日のドイツ連邦議会(下院)選挙で連邦議会に初めて議席を獲得するだけではなく、第3党に大躍進した極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)の初の連邦党大会が2日、同国北部ハノーバーで開催され、党代表の2頭体制を維持し、欧州議会議員のイェルク・モイテン氏(56)を再選する一方、2人目の党代表に副党首で連邦議会党院内総務を務めるアレキサンダー・ガウラント氏(76)を選出した。

▲ドイツの新党「ドイツのための選択肢」の党のロゴ

▲ドイツの新党「ドイツのための選択肢」の党のロゴ

2013年に結成された同党は9月の総選挙で外国人排斥、反難民政策を訴え、約12・6%の得票率を得、94人の議員を獲得し、ドイツ政界の台風の目となった。(同党のフラウケ・ペトリ―党首が党内の対立から同党を脱退し、無所属となったほか、マリオ・ミールフ氏が同じように同党を脱退し無所属。そのため、AfDの議員数は92人となった)。

党大会ではモイテン氏が72%の支持を得て党代表に早々と再選されたが、もう一人の代表選出では党内右派の代表シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州代表のドリス・フォン・サイン・ヴィトゲンシュタイン女史(Doris von Sayn-Wittgenstein)が立候補し、党穏健派のベルリン市党首ゲオルグ・パツデルスキー氏(Georg Pazderski)との間で党代表ポストを争った。1回目の投票では、同女史が285票を獲得し、あと1票で共同党首に選出されるところだった。同女史が党代表になっていたならば、「AfDは極右政党のラベルを貼られ続けただろう」という党穏健派の声すら聞かれた。

サイン・ヴィトゲンシュタイン女史は、「現在のドイツ社会はわれわれが願う社会ではない」と宣言し、党の連邦政権参加は近い将来、絶対にないと主張してきた。一方 、パツデルスキー氏は保守的な右派政党を目指し、連立政権の参加も視野に入れている。
2回の投票で投票に必要な過半数の票を獲得する者は出なかった。両候補者の争いが党の路線争いを激化する恐れが出てきたことを受け、党内右派のガウラント氏が調停に入り、党大会は一時休憩。その後、両候補者は立候補を断念し、ガウラント氏が唯一の候補者となり、3回目の投票で67・8%の支持を得て、代表ポストに就くことになったわけだ。

連邦議会選で躍進したAfDで現実路線を主張してきたフラウケ・ペトリ―共同党首が連邦議会選直後、突然離党を表明した。ペトリ―党首は離党理由を自身が作成した刷新案を党指導部から拒否されたことだと説明している。
AfD内では穏健派と過激な右派との間で路線対立があった。ガウラント副党首(当時)ら党指導部との対立は今年4月のケルン党大会で既に明らかだった。

AfDは創設当時から保守現実派からドイツ・ナショナリズムを標榜するテューリンゲン州党代表ビョルン・へッケ氏まで、様々な政治信条の寄せ集め集団だったが、連邦議会選で躍進したことを受け、党内で急進右派が主導権を握ってきた。ハノーバーの初の連邦党大会の結果は、その傾向がさらに強まることを示唆しているわけだ。
党急進右派は党大会前、「パツデルスキー氏を党代表に選出しないようにすべきだ」と檄を飛ばしてきただけに、党代表選は急進右派勢力の勝利に終わったと受け取られている。

ちなみに、AfD党大会開催に反対する約6500人が会場周辺でデモをし、警察隊と衝突した。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年12月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。