その日一日の区切りで生きることの重要性

デールカーネギーは、名著「道は開ける」の冒頭で「今日一日の区切りで生きる」ことの重要性を説いています。
サー・ウイリアム・オスラーがこれを実践して偉大な人物になったことなどを例に挙げています。

私たち人間は、先のことばかりを心配したり期待したりして、一番大切な「今」というものを粗末に扱ってしまいがちです。

「老後破産したらどうしよう?」、「リストラされたらどうしよう?」「AIに仕事を奪われたらどうしよう?」などなど、仕事や生活に対する不安を抱きます。
逆に、「大学に合格したら」「就職で成功したら」「結婚したら」「家を建てたら」という将来の夢ばかりを追い求めている人もいます。

しかし、人間というのは往々にして日頃から不安に思っていることが的中して不幸になるのではなく、思ってもみなかったことで不幸になるものです。老後の心配ばかりしていた人が交通事故で亡くなったり、仕事のことで不安だらけの人が突然子供を失ったり…。

「まさか自分がこんな目に遭うなんて」と嘆く人が多いのは、まったく想像していなかった不幸に見舞われたからです。

将来の期待についても、いざ合格したり上手く就職できても、喜びは束の間に過ぎていきます。それが当たり前の状況になってしまえば、気分の高揚が持続しないのは当然のことですから。

では、先々のことを考えるのを止めて享楽的に生きるべきかと問われれば、それに対する答えは「NO」です。
毎日毎日、酒池肉林をやっていれば、ほとんどの人たちは一か月で音を上げるでしょう。

また、「試験に合格するために今を犠牲にするのはいけないことか?将来のための自己投資は悪なのか?」と問う人がいるでしょう?
そのような問いに対し、「今日一日の区切りで生きる」という方法は、私は最強の受験戦略であり最高の自己投資だと思っています。

その日一日にやるべき勉強や自己投資の訓練をキチンとやり終えれば、とても充実した気分で眠りにつくことができます。

そもそも、勉強や自己投資の訓練が嫌で嫌で仕方がなければ、それはあなたに向いていないのす。向かないことはさっさと止めて、仕事をしてお金を稼いだ方がいいでしょう。

私は、脱サラをして司法試験勉強を始めましたが、一日中勉強に集中できる環境が「とても贅沢で楽しいこと」だとしみじみと感じました。社内外の人間関係や会社の都合に煩ざわれることなく、(かつての同僚が働いている時間に)勉強に集中できる有難みを心の底から実感しました。先に待ち構えている試験の合否について悩むことなく、その日その日にやるべきことをやり終えれば満足し、一日の終わりに飲む缶ビールの味は最高でした。

学習の成果は日々の積み重ねなので、それさえきちんとやっておけば先の心配をするのはナンセンスです。娘の中学受験の時も、塾がない日は午後8時までにやるべきことを終え、あとはDVD等を観ながらゆっくり食事をしました。

勉強も仕事も、エンドレスにやっていたのでは”切り”がありません。
その日のタスクをさっさと片付けたら気分良くリラックスしちゃいましょう。

一日の区切りで生きて、今日という日を大切に生きる。人生において極めて重要な教えであると、私は思っています。


編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年12月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。