【年末特集】ネット記事で振り返る「追悼2017」

アゴラ編集部

ゆく年を振り返る時、思い浮かぶのはあの人の在りし日の姿——。アゴラをはじめとするネットメディア、報道機関の電子版から「追悼記事」を引用させていただきながら、一時代を築き上げた方々を読者の皆様と一緒に偲びたいと思います。


松方弘樹さん 俳優
享年74 1月21日、脳リンパ腫で死去

「想い出ワルツ」ジャケットより

お別れの会に参列した俳優の高橋英樹さん

何でも徹底的に突き詰める人で、すさまじい表現力だった。一度、時代劇で一騎打ちのシーンがあったが、松方さんが刀を傷つけないように、刀同士がぶつかる1ミリ手前で止めてみせるのに驚いた。刺激を受けました。(出典:産経新聞 6月6日)

金正男氏 
享年45 2月14日、マレーシアで暗殺

Facebookより

北朝鮮情勢をウォッチしている長谷川良さん

北朝鮮では故金日成主席、故金正日総書記、そして金正恩党委員長の3代の世襲国家だが、その金ファミリーに関する情報は最大のタブーと受け取られてきた。金正恩氏の生年月日も公表されることがないので、日韓米メディアは正恩氏の年齢一つにしても確信をもって報じられない。全ては「金ファミリーに関する情報」はタブーであり、公表してはならないという不文律があるからだ。それを犯す者は親族とはいえ、最大の刑罰が下される世界だ。(出典:アゴラ『「金ファミリー情報」は最大タブー』2月26日)

かまやつひろしさん 
享年78 3月1日、膵がんで死去

ムッシュ・ファースト・ライヴより

ザ・スパイダーズの盟友だった堺正章さん

いつも笑顔でいてくださって、彼は年齢的な塀がなくて、本当に若いミュージシャンから先輩まで、一貫してああして付き合った人はなかなかいない。やっぱりアーティストで、いいものに対して年齢関係ないよ、っていう広さを持っている人。若いアーティストを育てようとしても、自分が前面に出るんではなく、後ろに下がって、その人たちを前面に出してやっていこうというプロデューサーマインドみたいなものも含めて、理解の深いというか、許容量の大きさといいますか、そういうものを感じる人でしたね。(出典:スポーツ報知 3月3日)

渡瀬恒彦さん 
享年72 3月14日、多臓器不全で死去

東映マネージメントサイトより

映画監督の中島貞夫さん。映画『狂った野獣』(1976年)でメガホンを取った際、渡瀬さんが大型免許を取得して自ら走らせたバスを横転させた話を述懐。

「『スターなんだから、ケガしたらどうするんだ』と止めたんだけど、どうしても『俺にやらせろ! 何のために免許取ったと思う? バスをひっくり返すためだ!』といってきかないんです。映画の大画面だと本人が運転していると分かるのよ。いま観ても凄いシーンだね」(出典:NEWSポストセブン『渡瀬恒彦「兄貴程度の芝居しかできなかったら消えていた」』3月24日)

ロジャー・ムーアさん 
享年72 3月14日、多臓器不全で死去

「007/私を愛したスパイ」 [Blu-ray]より

長年の「007」ファンの編集長・新田

70年代から80年代半ばまでシリーズに出演したロジャーは、アラフォー世代の我々にとって、まさに彼こそがリアルタイムの007だった。初代007を演じたショーン・コネリーと、しばしば比較され、“コネリー派”のファンも多い中にあって、間違いなく言えるのは、ロジャーがいなければ、シリーズの長寿化はあり得なかった。(出典:アゴラ『ロジャー・ムーア死去。さよなら、私が愛した3代目007』5月24日)

小林麻央さん 
享年34 6月22日、乳がんで死去

公式ブログより

夫の市川海老蔵さん(記者会見より)

ブログというものを始めて、なにかこう同じ病の人たちや、苦しんでいる方々と悲しみや喜びを分かち合う妻の姿は、私からすると、なんか人ではないというか、なんと言うんですかね、すごい人だなぁというか。言い方はおかしいですけど。とにかく総合的に教わったこと、そして、また今後も教わり続けることは、愛なんだと思いますよ。(出典:ログミー 6月23日)

日野原重明さん 
享年105 7月18日、呼吸不全で死去

公式Facebookより

生前、2006年と09年に日野原さんと面会した中田宏さん

その夜ご飯も仕事が終わった午前零時頃に肉や魚と一膳のご飯といった話をされて
「40歳代のあなたにはそのぐらいで良い。90歳代の私はこのくらい」
と言われたのを本当に鮮明に覚えていますし、ある意味で私の食生活・自己管理について何か”お墨つき”をいただいたような嬉しさがありました。(略)日野原先生のような生活をすればみんなが健康で長生きかどうかはわかりませんが、先生がその実践でお元気だった事は間違いのない事実です。(出典:アゴラ『追悼:日野原重明先生「お墨付き」の習慣で、今後も頑張ります』7月19日)

羽田孜さん 
享年82 8月28日、老衰で死去

Wikipedia

葬儀で友人代表で挨拶した小沢一郎・自由党代表

2人の出会いは政治の師である田中角栄先生の事務所が初対面の場でありました。(田中先生に)命がけで勉強しろ、頑張れ、そう叱咤(しった)激励されたことを今でもはっきり覚えています。僕はともあれ、孜ちゃんは終生その教えを守りました。郵政の問題であれ、農政であれ、知らないことは知らないとはっきり言い、3人歩めば必ずわが師ありとばかりに謙虚に教えを請い、ついには誰からも一目置かれる存在になりました。君の周りにはいつも人があふれ、笑いに満ちていました。来る者は拒まず、去る者はそっと見送り、再び来る者は何もなかったかのように迎える包容力によるものだと思います。(出典:産経新聞 9月8日)

篠沢秀夫さん 
享年84 10月26日、ALSで死去

「篠沢秀夫最新講義―これからの日本人へ」より

葬儀で弔辞を読み上げた、「クイズダービー」共演者の竹下景子さん

不正解が続いても先生は『愉快、愉快』と笑い、その言葉が魔法のように皆を楽しくさせた。(出典:サンケイスポーツ 11月8日)

亡くなられた皆様のご冥福を慎んでお祈りいたします。
アゴラ編集部