人生をやり直しできたら……

▲アラスカのオーロラ(米空軍関係者が撮影)ウィキぺディアから

最近、2本の映画を観た。一本は「僕だけがいない街」(原作三部けい)というタイトルの日本のサスペンス・シリーズ、もう1本は2017年公開「アメイジング・ジャーニー、神の小屋より」という映画だ。舞台も登場人物、そのセッティングも違うが、共通点は主人公が過去の失敗、挫折した問題を“その時”に戻り、やり直し、修正し、最後は過去の問題を克服していくという点だ。

前者は、売れない漫画家・藤沼悟がリバイバルという特殊能力(タイムリープ)で過去に戻り、自分とその周囲で発生した連続殺人事件の犯人を見つけ出すストーリーだ。過去に生じた殺人を回避し、犯人に殺された母親や友だちを救っていく。後者は、主人公マック(サム・ワーシントン主演)はキャンプに3人の子供たちと出かけた時、愛する末娘を悪者に誘拐され、殺されるという悲劇に遭遇し、自己責任を感じてきた。その若き父親マックにある日、神からの招待が届き、山小屋に行き3人の男女(神)と出会う。神とのやり取りを通じて次第に自責に悩む心を癒し、末娘の死後、バラバラとなった家族関係を取り戻していく。原作は世界的にベストセラーとなったウィリアム・ポール・ヤングの小説「神の小屋」だ。

ここまで書いていくと、米映画「オーロラの彼方へ」(原題 Frequency、2000年)を思い出す読者がいるだろう。人生をやり直し、失った家族や人間関係を回復していくストーリーのパイオニア的作品だ。

あの米俳優ジェームズ・カヴィーゼルが警察官役で登場している。オーロラが出た日、警察官になった息子が無線機を通じて殉職した消防士の父親と話す場面は感動的だ。ストーリーは父親の殉職と殺害された母親の殺人事件を回避し、最後は父親、母親と再会する。

同映画は人生の失敗、間違いに対してやり直しができたら、どれだけ幸せか、という人間の密かな 願望を描いた名作だ。

サクセスフルな人生を歩み、多くの富と名声を得た人でも、「あの時、こうしておけば良かった」「どうしてあのようなことをしたのか」と時に呟くことがあるだろう。生まれて死ぬまで100%計画通りに歩んできた人間などいない。程度の差こそあれ、さまざまな後悔や無念の思いを抱きながら生き続けている(「敗北者の『その後』の生き方」2016年11月20日参考)。

話は飛ぶ。21世紀の宇宙物理学者たちは、宇宙がビックバン後、急膨張し、今も拡大し続けているというインフレーション理論を提唱している。宇宙誕生当時に放出されたさまざまなマイクロ波が現在、地球に届いているという。

ところで、宇宙が直線的に膨張、拡大しているのであれば、いつか終わりを迎えると考えざるを得ない。直線運動には始まりがあると共に、終わりを想定せざるを得ないからだ。その点、円形運動は永続性がある。

漫画家・藤沼悟、マック、そして警察官ジョンは人生をやり直し、失敗や過ちを修正し、本来願ってきた状況に戻っていったように、人間の一生、大きく言えば、人類の歴史は、同じ状況を繰り返しながら、過ちを修正し、本源の世界にたどり着こうとしているプロセスではないか。

その内容をキリスト教的にいえば、人類始祖のアダム家庭で生じた全ての問題(アダムとエバの原罪問題やカインのアベル殺人など)を清算し、やり直し、アダム家庭が失敗しなかった状況まで元帰りする道ともいえるのではないか。大著「歴史の研究」で知られている英国の歴史学者アーノルド・J・トインビーは、「歴史は何か同じ内容を繰り返しているように見える」と喝破しているほどだ。

人類の歴史が「アダム家庭」への回帰プロセスと考えれば、現代人が久しく失ったと感じてきた「理想」が蘇り、われわれに希望があることに気が付く。たとえ、タイムリープの特殊能力がなく、過去と無線機で通話できるオーロラが現れず、「神の小屋」への招待状が届かなかったとしても、一日一日、本源の地を目指し感謝しながら歩んでいきたいものだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年12月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。